およげ!たいやきくん
「およげ!たいやきくん」は、1975年(昭和50年)にフジテレビの子供向けの番組『ひらけ!ポンキッキ』のオリジナルナンバーとして発表、リリースされた童謡。 作詞は高田ひろお、作曲・編曲は佐瀬寿一、ディレクターは小島豊美。子門真人が歌ったバージョンは、2021年3月現在、日本でレコード売り上げ枚数が最も多いシングル盤(フィジカル・シングル)とされている。本項では、この曲も収録された同名のLPも扱う。『ひらけ!ポンキッキ』番組内で放送された同曲のアニメ映像内でのタイトル表記では「!(感嘆符)」がついていない。 内容歌詞の内容は、「たい焼きがたい焼き屋[注釈 1]から逃げ出し、海へ逃亡する」というものである。 オリジナル盤シングルジャケットのキャラクターデザイナーは「バボちゃん」などを手がけた田島司。アニメキャラクターの「たいやきおじさん」のモデルは売り上げ世界一のたい焼き店「浪花家総本店」会長の神戸守一(2010年5月5日、満86歳で死去[3])といわれる[4]。歌詞のモデルも浪花家総本店と主張されることがあるが、作詞者の高田ひろおは、練馬駅近くで見かけた[注釈 2]たいやきから歌詞を思いついたと証言している[5]。 オリジナル盤シングルのB面(LPのB面1曲目)は、なぎら健壱(なぎらけんいち名義)の「いっぽんでもニンジン」(作詞:前田利博、作曲・編曲:佐瀬寿一)。本シングルの発売以前に、1975年にキングレコードから発売されたLP『ひらけ!ポンキッキ』(SKM(H)2229)で三浦けんいちの歌で収録されており(曲名は「いっぽんでもにんじん」)、こちらも作曲者の佐瀬寿一が編曲したことになっているが、佐瀬寿一は自身のインタビューで、SKM(H)2229収録の音源は自分の編曲したものではないと否定している[6]。 発売までの経緯![]() 本曲を作詞した高田は、日本大学を卒業したのち絵本作家のかたわら『ひらけ!ポンキッキ』の楽曲を手掛けていた[7]。あるとき、練馬駅前の商店街に所在した居酒屋で友人と一杯やったあと路地で立ち小便をしはじめたところを、屋台のたい焼き売りから咎められた瞬間、故郷・釧路の思い出がフラッシュバックした[7]。それは凍てつく寒さの中、銭湯の帰り道に湯冷めしないようたい焼きを腹に当てて温めながら帰った記憶だった[7]。そしてなぜか、当時「鍵っ子」と呼ばれた寂しげな子供たちの姿がそのたい焼きに重なって見えた[7]。「子供たちに遊び心と冒険心を伝えたい」「たい焼きを七つの海で自由に泳がせたら面白い」と思い立ち、高田は児童小説を書きはじめた[7]。『ポンキッキ』のスタッフはその話を面白がり、「ぜひ歌にして」と頼まれて本曲が誕生した[7]。 1975年10月5日[8](10月21日とも[9][10])に生田敬太郎の歌唱が『ひらけ!ポンキッキ』で初めて流され、その後リクエストカードやフジテレビへのレコード発売の問い合わせが殺到した[10]。 オリジナルのシングル盤はキャニオン・レコード(現・ポニーキャニオン)から市販された『ひらけ!ポンキッキ』のレコードの第2弾である。第1弾として発売されたシングル盤「たべちゃうぞ」が売れなかったことからレコード発売の企画はなかなか通らず、社内からの期待も低かったという[11]。 当初は生田敬太郎が『ひらけ!ポンキッキ』の番組内で歌っていたが、上述の通りレコード発売予定がなかったことから生田がテイチク(現・テイチクエンタテインメント)と専属契約を結んでしまい、キャニオン・レコードからの発売ができなくなった[12]ため、生田の歌での放送は11月27日を最後に終了、12月9日から子門真人に交代して放送を再開した[13]。 当初1976年1月に発売予定だったが前倒しされて[1]、1975年12月25日にオリジナルのシングル盤(キャニオン CX-102)がキャニオン・レコードから子門の歌唱で発売された。 ヒットシングル盤は、発売前の予約だけで30万枚[13](35万枚[9]とも)に達した。発売当日に10万枚が完売し[9]、12月31日までの1週間で30万枚が完売[9]、翌年1月6日には店頭出荷枚数が100万枚を突破し[14]、1月7日に東洋化成の福島工場で150万枚目のレコードをプレスし、その現場に子門真人が立ち会った[14]。1月10日時点で出荷枚数150万枚・予約待ち50万枚[8]。2月16日にはキャニオン・レコードが『およげ!たいやきくん』の370万枚達成[注釈 3]を発表する記者会見を行った[16]。 オリコン史上初のシングルチャート初登場1位・11週連続1位を記録し、現在までにオリコン調べで450万枚以上(オリコンにカウントされない売り上げを含めると、実際は500万枚以上[17]ともいわれる)のレコード・CDを売り上げている[18]。1998年7月13日付のオリコンチャートでGLAYのベストアルバム『REVIEW-BEST OF GLAY』に破られるまでは、シングル・アルバムを含めたオリコン史上最大の売上作品となっていた[19]。オリコン調べにおけるシングル盤としての売上記録は保持したままとなっており、これは2016年12月現在も破られていない[20][21]。『不二家歌謡ベストテン』では1976年1月18日から13週連続1位となり、この記録は番組終了まで破られなかった。 1976年の第9回全日本有線放送大賞特別賞、第5回FNS歌謡祭最優秀ヒット賞、第7回日本歌謡大賞特別賞を受賞。 同名のLP(キャニオン E-1025)も1976年2月10日に発売され、オリコンチャート6週連続1位、売上50万枚を記録し、「THE BEST OF DETECTIVE CONAN 〜名探偵コナン テーマ曲集〜」に更新されるまでは、アニメ・子供番組のコンピレーションアルバム売上記録歴代1位であった。 再発1992年7月1日にシングルCD化(ポニーキャニオン PCDG-00041)された[注釈 4](当時のプレス枚数は5000枚[22])。 1999年3月25日には「だんご3兄弟」のヒットに追随して5万枚が追加出荷され[22]、23年ぶりにオリコンシングルランキングの100位圏内にチャートインした。 2005年にはこの曲の主人公である「たいやきくん」をかたどった変形アナログレコード(シェイプレコード)として再発された(アナログコーポレーション ACSV-001)[23]。これはオリジナル盤シングル同様「いっぽんでもニンジン」をB面としている。 2007年末、「たいやきくん」のぬいぐるみがクレーンゲームの景品になった[24]と、2008年3月までに約30万個が獲得されるヒットとなり[25]、ポニーキャニオンにCD発売の問い合わせが殺到した[24]。 2008年、「日本で最も売れたシングル曲」(当時[注釈 5])として『ギネス世界記録2009』への掲載が決定する[27]。既にCD発売の問い合わせが殺到していたこともあり[24]、2008年3月5日に『ギネス世界記録』掲載記念としてオリジナル盤シングル同様「いっぽんでもニンジン」をB面にしたマキシシングル(ポニーキャニオン PCCG-00888)を発売した[27]。同CDには『ひらけ!ポンキッキ』で放送された同曲のアニメ映像を収めたDVDが付属する[27]。2008年版のDVD付きCDは約5万枚[25]、音楽配信では約5万ダウンロード[28]を売り上げた。 2017年11月15日、『およげ!たいやきくん』40周年記念として、CDアルバム『およげ!たいやきくん アニバーサリーベスト』(ポニーキャニオン PCCG-01634)を発売。 ヒットの影響考察ヒットの要因としては情緒に訴えかけるメロディや[29]、シングル付属の塗り絵を求めて買われたという意見[13]がある。また明確に裏付ける資料はないが、成人層にアピールした以下のような理由がヒット当時から逸話として語られることがある[8]。
子ども調査研究所が「およげ!たいやきくん」のブームについて調査した結果によると、幼児・小学校低学年の子供とその(若い)父親からブームの火がついたとされ、レコードを購入した父親の意見は「子供が欲しがったし、親も興味があった」「子供が喜びそうなので」といったものが大半を占めたという[30]。 印税シングルの印税は子門・なぎら共に買い取り契約だったため、売上げに応じた歌唱印税は支払われず、子門は5万円[31]、なぎらは3万円[32]の吹込料の支払いにとどまった。アルバイトで歌を吹き込んだ子門はこの曲が大ヒットになるとは思わなかった[33]。子門には後にヒット記念としてレコード会社から100万円と白いギターが1本贈られたとされる[34]。 また、品川税務署でレコード発売の5日前に区分として童謡の指導を受けており物品税(1989年4月1日に廃止)を申告していなかったが、「成人層に脱サラの歌として売れた」ことにより物品税法上、課税対象の歌謡曲扱いか、非課税の童謡扱いかで騒動になった。しかし1976年2月23日に、国税局により童謡であるとの正式判断が出されたため、物品税は免除された[35]。 社会的ブーム「およげ!たいやきくん」がヒットした1976年には児童向け楽曲のヒットが連発し、「パタパタママ」「山口さんちのツトム君」などが次々とオリコンチャートの上位にランクインした[36]。 当時の子供向けレコード市場は日本コロムビアのシェアが圧倒的だったが、キャニオンが「およげ!たいやきくん」をヒットさせたことで市場規模自体が拡大し、日本コロムビアの売上も伸びたという[37]。 他には、たい焼き屋に行列ができる、たい焼き用の鉄板が売れる[38]などの社会的影響となり、各種キャラクター商品も発売された。中にスポンジが入ったたいやきくんの塩ビ(ソフビ)人形は大ヒットし、子供だけではなく大人にも売れた[39]。1976年2月20日、サンケイ新聞出版局は絵本『およげ!たいやきくん』を刊行し、初版5万部、累計では公称30万部以上を発行した[40]。西友ストアーではこの曲のヒットに便乗して各店舗でたい焼きを売り出した[41]。曲にちなみ学校給食にたい焼きを出す地域もあった[42][43]。 1975年から1976年にかけて商品先物取引である小豆市場が高騰したが、小豆の不作のほか、この曲の流行によりたい焼きの消費量が伸びたことも影響しているという風評がある[44][45][46]。 「サンケイ新聞」夕刊では、駄菓子屋の前でたい焼きを受け取る少年として木村拓哉が紙面に載った[47]。千葉県の銚子電気鉄道では、この曲のヒットにあやかって1976年2月10日から観音駅で、たい焼きの販売を始めたところ大ヒットとなり[43]、人気商品になっている。観音駅のたい焼き屋は施設の老朽化などにより2017年3月末をもって閉店し[48]、同年6月24日に犬吠駅で販売を再開した[49][50]。 1976年、現ピーター・ブルック・カンパニー土取利行と当時東京芸大大学院生だった坂本龍一は、竹田賢一のプロデュースの元、限定500枚のレコードを制作するが「およげ!たいやきくん」のヒットによりプレス工場(東洋化成)の生産が追いつかず、リリースが半年遅れた。坂本龍一の幻の1stレコーディング作として後に発掘され『ディスアポイントメント - ハテルマ』というタイトルで2005年にCD化されている。 小島豊美によると、「およげ!たいやきくん」は莫大なプレスオーダーをかけたため、当時のキャニオン営業部長の津澤正次の尽力で、東洋化成だけではなく同業他社のCBS・ソニー大井川工場(現・ソニー・ミュージックソリューションズ 大井川プロダクションセンター)などにまで協力を仰いで追加プレスを依頼したという。関東(東日本)と関西(西日本)でブームのピーク時期がずれたおかげで、ほぼ完売することができたと語っている[51]。 関係者子門の歌でレコードが大ヒットした後、一時期、生田は「およげ!たいやきくん」に関するインタビューには一切応じなくなったという[12]。生田はテイチクとの専属契約を解いた後の1978年に『ひらけ!ポンキッキ』で「おとなもなやみがあるんだな」[注釈 7]を歌っている[52]。さらに時を経た2011年2月14日には、生田による「およげ!たいやきくん」の再録音マキシシングルが発売された[53]。 LP『およげ!たいやきくん』
カバー・リメイクカバーや編曲、歌詞を追加変更したリメイク、オマージュ的な関連曲などが数多く作られている。 公式リミックス・カバーポンキッキシリーズ後継番組にて発表されたもの。
他の歌手によるカバー
童謡集などでは、水木一郎・宮内良・池田鴻・杉江秀らも歌っている。レコーディングは行われなかったが、ザ・ベンチャーズが1976年の来日時にステージで披露している。 その他リメイク
関連曲(アンサーソング)
アルバム
関連グッズなど
アニメーション映画1976年3月13日封切りの『東宝チャンピオンまつり』内で、短編アニメーション映画の『およげ!たいやきくん』が公開された。上映時間は6分[62]。 同時上映はディズニーアニメ『ピーター・パン』・『ミッキー・マウスのがんばれ!サーカス』・『ドナルドダックのライオン大騒動』・『チップとデールの怪獣をやっつけろ!』・『ドナルドダックの人喰いサメ』と、国産テレビアニメ『元祖天才バカボン』・『勇者ライディーン』・『タイムボカン』の計8本。通常の『チャンピオンまつり』はゴジラ映画を筆頭とする東宝特撮映画をメインにしていたが、この時は「ディズニー・フェスティバル」と銘打ち、ディズニーアニメをメインにしていた[63]。 なお、同年夏の「東映まんがまつり」では、本作と同じく大ヒット童謡を使用した短編実写映画『山口さんちのツトム君』を公開したので、この年は大ヒット童謡をモデルにした映画が2本公開された事になった。 その他
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目外部リンク
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