最後の忠臣蔵 (映画)
『最後の忠臣蔵』(さいごのちゅうしんぐら)は、池宮彰一郎の同名小説を原作とした、2010年公開の日本映画。 概要忠臣蔵の後日譚を描き、同名でテレビドラマ化もされた、『四十七人の刺客』の池宮彰一郎の同名小説を映画化した作品である。ワーナー エンターテイメント ジャパンのローカル・プロダクション本格的第1弾として製作。監督は杉田成道。主演は役所広司、佐藤浩市。 『サムライ・シネマキャンペーン』と題し、『十三人の刺客』『桜田門外ノ変』『雷桜』『武士の家計簿』と併せて、2010年公開の時代劇映画5作共同のキャンペーンも行われた[2]。2010年11月23日には両国で公式ツアー『催行決定!!映画『最後の忠臣蔵』公式ツアー〜赤穂義士の引揚げルートを歩く〜通常非公開の「大石良雄ほか16人切腹の跡」特別公開』を開催。 2010年12月11日以降、群馬テレビ他で公開記念特番『〈本物の感動〉に日本中が涙する『最後の忠臣蔵』』が放送。また12月15日には映画公開記念特番としてフジテレビで『『最後の忠臣蔵』演出ノートより〜桜庭ななみと杉田監督の3ヶ月〜』を放送した。 キャッチコピーは「生き尽くす。その使命を、その大切な人を、守るために。」。 丸の内ピカデリー3他全国309スクリーンで公開され、2010年6月18,19日初日2日間で興収9608万500円、動員は8万6838人になり映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第8位となった[3]。また、ぴあ初日満足度ランキング(ぴあ映画生活調べ)では第1位になるなど高く評価されている。 あらすじ元禄15年の赤穂事件から16年。赤穂浪士だった寺坂吉右衛門は浪士の十七回忌法要が行なわれる京へと向かう。赤穂藩の足軽であった寺坂は、討ち入りの直後に大石内蔵助から「事件の真実を後世に伝え、浪士の遺族を援助せよ」との命を受け、一人だけ生き残ったのだ。遺族は散り散りになり居所も知れず、ようやく最後の遺族と会って使命を果たした寺坂だったが、京への道すがら、赤穂藩で盟友だった瀬尾孫左衛門と再会する。瀬尾は浪士に加わりながら討ち入りの直前に逃亡した男だった。 実は瀬尾も大石内蔵助の密命を帯びていたことを知る寺坂。討ち入りの準備中、内蔵助は妻子と離れ京で暮らしたが、その時の妾が赤ん坊を産んでいた。内蔵助は自分の家臣である瀬尾に、その赤ん坊の面倒を託したのだ。町人に身をやつした瀬尾は古物商を営み、表向きは実の娘と称して遺児の可音を大事に育てていた。 美しく上品な娘に成長した可音に縁談が持ち上がった。相手は豪商として知られる茶屋四郎次郎の息子で、またとない良縁だが、可音は浮かない顔だった。自分の身の上を知っている可音は、優しい瀬尾に恋をしていたのだ。 瀬尾に想いを打ち明ける可音。だが、可音を「可音さま」と呼び主と仰ぐ瀬尾は、愛情に溢れながらも彼女の気持ちに応えなかった。諦めて縁談を受け入れる可音。花嫁行列は駕籠ひとつきりで、付き添いは瀬尾のみだった。そこへ正装した寺坂が、嫁入り道具を担いだ盛大な男衆を引き連れて駆けつけた。更に次々と同道を願い出る旧赤穂藩の藩士たち。 婚礼の席から抜け出して帰宅し、仏間に入る瀬尾。仏壇の大石内蔵助の位牌に向かい、「遅ればせながらお供いたします」と呟いた瀬尾は、使命を果たし殉死を覚悟していた。駆け付けた寺坂の介錯も断り、切腹して果てる瀬尾。寺坂は涙して盟友の遺骸に平伏した。 キャスト
スタッフ
ソフト化2011年6月15日発売。発売元はワーナー・ホーム・ビデオ。
英題問題2010年10月11日実施のLAプレミア試写会の好評もあり、ワーナー・マイカル代表取締役社長のミラード・エル・オゥクスのオファーで日米同時公開となる予定であった。しかし、英語版タイトルに対して他の映画会社から異議が申請されたために延期された[5]。ワーナーは当初英語タイトルに『THE LAST RONIN』を予定していたが、MPAAによる映画題名のタイトル・クリアランス審査で英ハリウッド映画会社から異議があがり、日米同時公開にあわせるため『SAIGO NO CHUSHINGURA』に変更して再審議を申し出たものの、今度は日本の映画会社から異議の申し出があり、これ以上の審査通過のためだけの安易な変更は良しとせず、12月17日に公開延期を決定した。ワーナーは異議を取り下げ、2011年7月12日にアメリカ公開された。 脚注
外部リンク |
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