有馬街道有馬街道(ありまかいどう)は、大阪や神戸から有馬温泉に至る街道の名称である。歴史的には都であった飛鳥、難波宮、平安京や大都市の大阪から有馬温泉へ向かう道を指すことが多かったが、現在では兵庫県道15号神戸三田線の別称として使用される。有馬道(ありまどう、ありまみち)ともいわれる[注釈 1]。 ![]() 概要「有馬街道」「有馬道」と呼ばれた道は歴史的に以下の五本のルートがあった。
現在、最も交通量の多い「有馬街道」は5.のルートで、国道28号と国道428号が分岐する神戸市中央区の有馬道交差点から国道176号と合流する神戸市北区の日下部交差点までの区間を指すのが一般的である。地図によっては、有馬口交差点を右折して有馬温泉を通り、1.のルートである旧・湯山街道の兵庫県道51号宝塚唐櫃線が国道176号と合流する西宮市の大多田橋交差点までを「有馬街道」としているものもある。また、1.や2.や3.や4.の街道沿いであった地域では、現在でも一部を「有馬街道」もしくは「有馬道」と呼んでいる場合もある。3.4.のルートは、現在主としてハイキングコースとなっている。 歴史![]() 有馬温泉への入湯の記録は、古くは7世紀の中頃舒明天皇と孝徳天皇が有馬を訪れたことが日本書紀に記されている。当時都のあった飛鳥や難波宮から有馬へ向かう道は、神崎から北西に向かい生瀬から船坂を越えてゆくコースが多く利用された[6]。このルートの途中で武庫川を渡る生瀬には13世紀には橋が架けられ、橋のたもとに浄橋寺が1241年(仁治2年)に建立された[7]。生瀬から船坂へ向かう道は大多田川(摂津名所図会では小多々渓(おたたかわ)と表記される)の渓流に沿って流れを何度も左右に渡りながら登ってゆくため、「四十八ヶ瀬」と呼ばれる難所であった。 江戸時代江戸時代の宿駅制では、幕府が定めた宿駅は公用の書状や荷物を次の宿まで送る(継立て)責任を負うが、見返りとして近在の運輸業について独占的な権利を持っていた[8]。有馬へ向かう道もこのルールに従って運用されていた。 有馬に向かう街道については1606年(慶長11年)に片桐且元が触れだした「摂州之内駄賃馬荷附之所」 で、摂津国内の荷物の継立て場を「山崎」「郡山(現在茨木市)」「小濱(現在宝塚市)」のほか「尼崎」「西宮」「兵庫」「生瀬」「有馬」の8か所を指定した記述がある。このうち郡山から小濱-生瀬-有馬を通るルートは上記2.に相当する古くからある有馬街道であり[9]、有馬から先へは播磨国の淡河や三木を通ってさらに西へ続く街道で、当時海岸沿いに尼崎-西宮-兵庫を通る街道と並んで京都から西国へ向かう主街道であった(慶長国絵図より)[10]。 伊丹は大阪から有馬に向かう途中にあり、1589年(天正17年)の豊臣秀吉の有馬入湯の際にも人馬の継立てを行い、1617年(元和3年)には諸国巡見使村上三右衛門が伊丹に宿泊し継立を行った。そこで伊丹村では幕府に対し、これまでの継立の来歴を述べ「今後も継立に協力するので正式に宿駅として認め近郷の輸送の特権を頂きたい」旨を申し出て1617年に認められている。これによって大阪から伊丹・小濱を通って有馬へ向かう上記1.の道筋が確立された[11]。 ![]() 現在の神戸市中心部近辺から有馬や三田方面に米や干鰯を送るルートは、正規の宿駅 即ち兵庫-西宮-小濱-生瀬の各宿駅をたどる道に比べて、兵庫から直接北上する天王谷越えの上記5.の道が距離も短く安価で積送できるため地元民による運送が行われていた。このルートは兵庫駅が荷役権を有する領域内であったため、1756年(宝暦6年)に兵庫駅と輸送を行う下谷上村の間で取り決めがなされ、年間銀五十匁の口銭を兵庫駅に支払うことで公認されるようになった[12]。 灘目地域(現在の神戸市魚崎・御影周辺)から六甲山を越えて有馬に向かう上記3.と4.の道は、正規の宿駅を全く通らず最短距離で結べる有利さから、有馬と灘の有力者が直接荷物運送を始めたが、宿駅側との間で訴訟沙汰になっている。1672年(寛文12年)に小濱・生瀬・西宮などの宿駅が、新たに開削された六甲越え間道の差し止めを願い出たのを始め[13]、1754年(宝暦4年)には生瀬・小濱・道場河原の3駅が大坂町奉行に差し止めの訴えを起こした。1754年の件は宿駅側の「慣例に反する新規稼ぎは往還駅所の妨げになる」という主張が認められ、このルートの運送は停止となった[14]。しかし有馬へ向かう最短コースは小濱・生瀬経由に比べて運賃も半額で済むため[15]幕末には灘目からの運送が再開されており、生瀬駅などから再三訴訟が起こされている[16][13]。 妹尾河童の小説、少年Hの作中で主人公が行軍していた道は、有馬街道である。 沿道施設
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目外部リンク
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