木下康介
木下 康介(きのした こうすけ、1994年10月3日 - )は、東京都港区生まれ[2][3]、大田区出身のプロサッカー選手。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。ポジションはフォワード(FW)。 来歴プロ入り前友人の影響で小学2年次からサッカーを始め、幼少時代より頭1つ背が高かったことから当初はゴールキーパーをやっていたが次第にディフェンダー、ミッドフィールダーとポジションを上げて、小学4年次よりフォワードとしてプレーを始めた[3]。数あった選択肢の中から後に恩師と語る浮嶋敏が指導する横浜FC Jrユースへと進み、同ユースに昇格[3]。日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会で2011年と2012年の2年連続で大会得点王となり[2]、世代別代表にも招集された。ユースチームに在籍しながら、2012年シーズンの6月には2種登録選手としてトップチームにも合流した[4]。 海外挑戦ユース昇格時より海外挑戦の意向を伝えており[3]、2011年、高校3年の夏には関係者を介しプレミアリーグのマンチェスター・シティFCにビデオと履歴書を送って入団テストを打診。監督直筆の招待状をもらい、シティが英国への渡航費と滞在費を全額負担して7月30日から2週間、テストを受けた[2]。監督をはじめクラブ幹部から入団の勧誘を受け、2011年10月3日に英国でプロ契約が可能となる18歳の誕生日の2012年10月3日を待って、シティからも正式に入団オファーを受けた[3][5]。 フライブルク2013年1月1日、トップチームの試合出場までには時間がかかることを懸念し、より即戦力に近い選手として認められチーム事情や将来的な育成方針を考え合わせ、同じく練習参加していて非常に熱心に勧誘されたドイツ・ブンデスリーガ1部のフライブルクと複数年のプロ契約を交わし[2][3]、同U-19に移籍した。約半年で同セカンドチームへ合流した直後の2013年8月、U-19日本代表のスペイン遠征で足を負傷し、完治を待たず無理してプレーを続けたことで以後2年にわたり怪我に苦しむこととなった[3]。 FC08ホンブルク2016年、フライブルクのトップチームに昇格することができずに、4部リーグのFC08ホンブルクへ加入[6]。 ハルムスタッズBK2017年1月にスウェーデン1部のハルムスタッズBKへ移籍した[7]。 2018シーズンには同2部でキャリアハイの13ゴールを記録した[3]。 シント=トロイデンVV2019年1月18日、ベルギー1部のシント=トロイデンVVへの移籍が発表された[8]。2月9日、第25節のワースラント=ベフェレン戦で途中出場を果たすと、移籍後初得点を決めて勝利に貢献した[9]。 スターベクIF同年7月22日、ノルウェー1部のスターベクIFへ移籍[10]。2021年7月19日、シーズン途中の退団と日本への帰国が発表された[11]。 国内浦和レッズ欧州を含む数クラブから話があった中から「新しい挑戦がしたい」として浦和レッズでのJリーグ初挑戦を決断[3]。2021年8月12日、J1リーグ・浦和レッズへの加入が発表された[12][13]。8月25日、J1リーグ第26節サンフレッチェ広島戦で後半途中より出場しJリーグデビューを果たした[3]。 水戸ホーリーホック2022年1月5日、水戸ホーリーホックへの完全移籍が発表された[14]。 京都サンガF.C.2022年12月20日、2023年シーズンより、京都サンガF.C.への完全移籍が発表された[15]。 柏レイソル2024年、柏レイソルへ完全移籍[16]。リーグ前半戦から中盤にかけて途中出場が多く、その中で7得点を記録[17]。リーグ終盤戦はスタメン起用が増えノーゴールの試合もあったが、得点力不足に喘ぐチームでチームトップのリーグ戦10得点を挙げた。 サンフレッチェ広島2025年6月2日、サンフレッチェ広島へ完全移籍で加入することが発表された[18]。 所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
タイトルクラブ
個人
代表歴
脚注出典
関連項目
外部リンク
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