東京都立青山高等学校
東京都立青山高等学校(とうきょうとりつ あおやまこうとうがっこう、英: Tokyo Metropolitan Aoyama High School)は、東京都渋谷区神宮前に所在する東京都立高等学校。 略称は「青高(あおこう)」。 概要概観学校群制度導入時代に戸山高校と同じ群を組み進学実績を伸ばした(同様な例としては、富士高校、国立高校がある)。最寄駅は銀座線外苑前駅であり、神宮球場や秩父宮ラグビー場など明治神宮外苑一帯に隣接する好立地に所在する。冬季にはマラソン大会が神宮球場で行われ、生徒は球場内を走ることができる。 2024年現在、東京都教育委員会から進学指導重点校に指定されている[2]。1970年代から1980年代半ば前頃には東京大学合格者数が30 - 40人前後[3]を数えることもあった。土曜授業、外部模試、東大特別講座(2007年より)、教員の指導力向上のための外部講師を利用した研修会、大学キャンパスツアーが実施されている。 入学者選抜の学力検査問題については、国語・数学・英語の3科目で2004年度から2013年度まで自校作成問題を、2014年度から2016年度までグループ作成問題を、2017年度から自校作成問題を導入している。 教育目標「身体」「知性」「情操」「個性」「社会性」が涵養すべき項目として定められている。教育目標は「健康な身体をつくり 知性を高め 情操をゆたかにし 個性を伸ばし 社会性を培う」である。スローガンは「高きを望め、青山で。」 各項目は2007年度の学校経営計画で以下のように定義されている。
校名の由来1946年(昭和21年)3月30日、東京都立多摩中学校を廃止統合し、東京都立第十五中学校を改称して東京都立青山中学校が発足した。「青山」という校名は、第十五中学校が東京市赤坂区青山北町五丁目に開校したことに由来する。なお、設立に伴い赤坂区青山北町四丁目に校地が移された。新制高校に移行する際も「青山」の名称はそのまま用いられている。 校章校章は笹の葉、雪の結晶、ペンを図案化したものである。雪の結晶は学び舎、ペンは勤勉、笹の葉は強さをそれぞれ意味している。 校歌1959年に制定された。作詞は当時在校生の杉本清治、作曲は昭和20年卒業生の小杉太一郎である[4]。 沿革
交通部活動文化部運動部学園祭通称「外苑祭」。同校最大の伝統行事である高校演劇を主体とする文化祭である。都立高校文化祭としては「西の国高祭、東の外苑祭」と並び称される、東京都立国立高等学校の「国高祭」に次ぐ来場者数を誇る人気がある。 「外苑祭」の通称は1970年(昭和45年)に決められた。理由は「青山高校らしさを表現するとともに青山学院と混同されない」というものであった。 外苑祭全体の運営は外苑祭委員会委員長を筆頭とする外苑祭委員会総務によって、各クラスの運営はクラス監督を筆頭とする監督団によって執り行われる。 2015年には、2日間の会期を通して史上最多となる8272名の来場者があった[6]。 内容は全学年全クラスによって行われる演劇のみである。演技・演出・内装・外装・立看・衣装・音響・照明と作業量が膨大なため、外苑祭の準備は新学級結成後の4月から本番当日までの半年間かけて行われる。夏休み期間中も、来校し、内装の枠組みや外装デザインを進めたり、演劇の練習を行う。外装デザインは細部まで凝られており、迫力がある。 現在は、来場時に配られる冊子の中に、アンケートのリンクに飛ぶQRコードが同封されており、このアンケートの2日間の投票結果によって、各学年各クラスの第1位~第3位、外装大賞、立看大賞を決める。第1学年・第2学年の第1位は「学年大賞」、第3学年の第1位は特に「外苑大賞」と呼ばれ、学年大賞・外装大賞・立看大賞を揃えることを「三冠」という。最終日最終公演後に順位が発表される。 歴史
登場作品
同窓会名称
沿革
高校関係者一覧→「東京都立青山高等学校の人物一覧」を参照
関連項目注釈
外部リンク
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