染矢一樹
染矢 一樹(そめや かずき、1986年10月13日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。 来歴プロ入り前小学1年生の時に1歳年上の幼馴染に誘われ、サッカーを始めた[2]。中学卒業後は、3年計画で強化に取り組んでいた島根県の江の川高校(現:石見智翠館高校)に進学[3]。しかし高校時代は全国の舞台に立つことはできなかった。 奈良産業大学(現:奈良学園大学)に進み、2008年の関西学生サッカーリーグでは5得点11アシストの成績を残した[4]。2007年と2008年にはデンソーカップチャレンジサッカー関西大学選抜に選出。2008年11月、FC岐阜の練習にテスト参加し、翌日には大学に合格の通知が届いた[3]。 プロ入り後2009年にFC岐阜へ入団[5]。3月8日の第1節栃木SC戦で、高木和正に代わって途中出場でJリーグデビューした。同年シーズンのホーム初勝利となる3月25日の第4節ザスパ草津戦で、試合終了間際にJリーグ初得点となる決勝ゴールを奪い、存在を印象付けた。7月、練習中に左足首をひねり、戦列を離れ、回復しても焦って試合に出場して、また同じ個所を痛めた。復帰後は流れを変える攻撃の切り札として、途中出場の機会が増えた[6]。 2010年からは背番号を11番に変更。栃木SCに移籍することが決まったサイドMFと同じポジションの高木和正から、「知らない人が付けるより、お前がこの番号を付けたらどうだ」と依頼を受け了承した[6]。 2016年より大分トリニータに完全移籍した[1]が、体調面の不良が続いたことで公式戦はおろか練習にも参加できない日々が続いたことで同年4月1日に双方合意の上契約解除となった。同年7月、 アスルクラロ沼津に加入[8]。2024年10月13日、記者会見を行い、同年シーズンをもって引退することを発表した[9]。 引退後はアスルクラロ沼津のU18コーチに就任した[10]。 人物
所属クラブ
個人成績
指導歴
脚注
関連項目外部リンク
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