柳生心眼流體術
柳生心眼流体術(やぎゅうしんがんりゅうたいじゅつ)は、小山左門が江戸で教えていた体術の流派。 歴史柳生心眼流の小山左門が諸国を回遊修行後に江戸浅草で道場を開いたことにより江戸に伝わった。 幕末期から明治にかけて活躍した後藤柳生斎は、大阪を中心に広くその技を伝えた。この流れは「後藤派柳生流」とも書かれる。合気道の創始者である植芝盛平は大阪府堺市で中井正勝よりこの系統を学び、1908年7月(明治41年)坪井政之輔から初段中段の巻物を授かった。 後藤柳生斎の門人の大嶋正照は幕末に新徴組に属していた人物である。明治維新後は山岡鉄舟の援助で東京に道場を開いた。大島正照の高弟の星野天知(星野慎之輔)は明治文壇で活躍した人でもあり、女子武道を工夫して明治女学校などで教授していた。講道館柔道創始者の嘉納治五郎も大島正照の道場で一時期棒術を学んでいる。 星野天地の系統は神奈川、東京都、栃木県で伝承されている。 幕末から明治にかけて奈良県で学ばれていた圓徳流は、この系統の柳生心眼流の分派と考えられている。
柳生心眼流に関する話大嶋正照について星野天知の師匠であり、日本橋本銀町に演武場を開いていた。 星野天知によると大嶋正照は、身長は六尺(約180センチメートル)仁王像のような巨躯の人であったとされる。星野天知によると幕末に庄内藩を脱藩し新徴組に所属していた。人をよく斬ったので人斬り一角と言われていた。大嶋は初め一角と称し後に正照と改めた[1]。 明治時代に山岡鉄舟、勝安房、近藤勇、志田歌之助等の諸豪と交流を持っていた。また漢方医薬や指頭術(揉み治療)に長じて多くの者を治療していた。治療して全癒した者は300~400名いた。 新徴組解隊後に山岡鉄舟の庇護のもと今川橋の近くに大道場を開いたが後に本銀町に道場を移した。明治初年の欧米風で多くの町道場が閉鎖する武芸極衰の時勢のなか、大嶋の道場は薬と整骨治療で生計を支えいた。 星野天知が入門した時は30人ほど弟子がいた。 大嶋正照と大嶋学星野天知が師事した大嶋正照は、一般的に大嶋一学と言われる人物の息子の大嶋学であるとする説がある。大嶋学は新徴組に所属していた。星野天知が心眼流を学び始めたのが明治14-15年であり当時の大嶋は57-58歳であったとされ、大嶋一学の子の大嶋学は1864年(元治元年)で39歳であり年齢は大嶋学と一致している。 1846年(弘化3年)に出版された『大阪商工銘家集』の中に「北久宝寺町東堀 柳生心眼流打身骨折治療 一子相伝 大嶋荒木堂」と書かれている。 元治2年3月(1865年。4月に慶応に改元)に改定された『新徵組姓名明細記』の大嶋学の項に「〜当時麹町壱丁目住居、父大嶋一学死、大阪南船場東堀住人〜」とある。なお、大嶋学は明治となって版籍奉還で東京へ移住、その際、「大嶋正照」を名乗ったことが記録されているので、新徵組隊士として活躍した「大嶋学」が、のちに星野天知の柳生心眼流の師となる「大嶋正照」と同一人物であるのは、ほぼ間違いない[2]。 天神真楊流との試合『渡辺一郎先生自筆 近世武術史研究資料集』に掲載された天神真楊流の他流試合の記録に、1856年(安政3年)に行われた神田橋の大嶋一学道場と天神真楊流の試合が記されている[3]。 大嶋一学の門下からは伊藤一郎、坂口吉太郎、市原吉三郎、依藤忠八が出場した。 天神真楊流からは、渡辺喜三太[注釈 1]、益頭五十太、三河作右衛門、太田安造が出ている。
中井道場と講道館柔道大阪の中井道場には実力がある門弟が揃っており、他道場が他流派より試合を申し込まれた場合には応援を頼まれた[4]。 ある時、大阪の半田彌太郎の道場(大東流柔術)に講道館柔道の嘉納治五郎と門弟が訪れ手合わせを申し込んだ。そこで中井道場から平地と井上という門人が応援に赴き、平地は嘉納治五郎の門弟に勝利した。 平地は試合相手がいなくなって調子にのり嘉納治五郎に挑戦しようとしたところ、中井正勝が平地を一喝し嘉納治五郎に深く非礼をわびたという。 嘉納治五郎は日を経ずして中井の門弟の井上を警視庁警部補の階級で招請した。 蹴りの稽古星野は著書で柳生心眼流體術は絞と当身で勝負の決を取ると記している。稽古試合では当身を禁じているが、普段の稽古で咽喉と胸部は怠ず鍛えていた。 ある時、星野が多数の門人へ代わる代わる自身の肋骨を蹴らせる稽古を行っていた。この蹴りで皮が痛い時は初心者、骨が痛い時は初段から中段、目録以上は胃の所までズーンと痛んだという[5]。 代わる代わる蹴らしている一蹴りズーンと腹の中心を衝いたものがあり、驚いてみ見る初心者であった。星野はこれは免許蹴りだと思い、後に職業を聞いたら米の踏み㨶きをする者であった。
内容柔術は居取、立合、乱取からなる。
系譜
後藤柳生斎以降の系譜
伝系が不明の人物と系統
脚注注釈出典
参考文献
関連項目 |
Portal di Ensiklopedia Dunia