校門
栃木県立栃木商業高等学校(とちぎけんりつとちぎしょうぎょうこうとうがっこう、英: Tochigi prefectural Tochigi Commercial High School)は、栃木県栃木市片柳町五丁目1-30にある公立の専門高等学校。略称は「栃商(とちしょう)」。
特色
概要
本校は専門学科を設置する栃木県立の専門高等学校。
創立以来、単独の商業高校として、創立100年を超える独自の歴史と由緒ある伝統や文化を誇る関東に所在する商業高等学校。
[1]
男女共学であるが同じ栃木市内にある栃木工業高等学校と対照的に女子の比率が圧倒的に高くなっている。
例年11月には「栃商デパート」(略称「栃デパ」)という経営・販売実習形式の学園祭が行われ、多くの客で賑わう。
日商簿記検定や情報処理技術者試験などの資格を取得することも可能であり、特に国家資格の基本情報技術者試験(FE)の午前科目免除制度の認定校となっている[2][3]ことでも知られている[4]。
また、日商簿記検定の取得者数は多く、1985年度から2016年度までの在学中に累計で1515名を超える日商簿記検定2級取得者を輩出している。[5]
建学の理想・理念
- 本校の理念は、建学の理想の実現にあるとされている。
建学の精神
- 本校の原点である建学の理想を実現する目的において建学の精神として「質実剛健」「自由進取」「独立自尊」が掲げられている。[9]
設置学科
部活動
運動部
文化部
- 原作詞:相馬御風(56歳頃の作品)
- 作曲:中山晋平(52歳頃の作品)
- 1940年(昭和15年)8月25日 栃木商業学校校歌制定
- 卒業生により母校卒業10周年を記念して記念品として校歌を贈呈。
- 教職員6人で構成される改訂委員で従来の歌詞を一部修正し、戦前の卒業生も戦後の在校生も共に歌える歌詞に改訂。
- 「雄姿望まば」が「雄姿望めば」に、「至誠はとわに ここに生く」が「至誠とこしへ ここに生く」に変更された。
原詞は口語自由詩を提唱した相馬御風。全3番により構成される歌詞は「みづきさやけき 大平の」で始まり、「見よや商業報国の 理想に燃ゆる吾等あり」と続き、「報徳の欣求伝統の 至誠とこしへここに生く 吾等の前途光あり」で閉じる。[10]
数々の名歌を残した作曲家の中山晋平による付曲は、五音音階(ヨナ抜き音階)で力強く(Energico)、軽快なリズムの独特な曲調。
関係者の尽力により建学の理想、建学の精神、本校を取り巻く歴史的風土や自然も表現された旧制高校の寮歌風な趣も感じられる校歌が歌い継がれている。[11]
- 栃木商業学校応援歌:嗚呼玉杯のメロディーに「武蔵野の果て名を負へる」で始まる歌詞。
- 栃商応援歌(昭和27年頃~):歌詞は「椿が丘に きたえたる 力を示せ、今ぞ今」で始まり「栃商、栃商、おお栃商」で終わる。青春の血潮を感じさせる応援歌。
- 栃商小唄:「緑したたる芝塚山を 左に廻れば俺らの学校 窓は壊れて壁には穴あき 落書模様の美しさ」等の歌詞。「ズンドコ節」の節回しで、戦後に先輩から後輩へ歌い継がれていた。
- 栃商数え歌:戦前から歌われていた。
- 応援団の「そろばんおどり」
校章
「商」の字の校章は、「商業報国の理想」の表現であり、飾り気のないデザインは、至誠、勤倹力行、質実剛健の精神や自由進取の気骨、独立自尊の気概にも通じる。帽章は校章と同一の図案。
胸章
- 「商」の校章を赤色で示し、これを校地の「椿の宮」の地名に由来する白椿の花で囲んだもの。
1950年(昭和25年)女子部併置の際、その第一期生が授業の傍ら、何度も図案を練り直して完成。
校花
1997年(平成9年)4月制定
由来は現在の校地「椿の宮」。
マスコットキャラクター
2005年(平成17年)第19回「栃商デパート」の開催にあたり、戸来香奈子によりイメージキャラクターとして考案された。
校地
周辺
最寄り駅
同窓会
略年表
対外関係
大学等との協定
その他機関・企業・団体等との協定
- 地域産業の活性化と競争力強化を図ることを目的とする「農・商・工」関係の市内企業や栃商などの教育機関、地域団体等の8団体による「栃木市農商工包括連携に関する協定」:2018年(平成30年)7月31日締結[18]
著名な出身者
- 経済界
- 学者・士業・会計専門職
- スポーツ
- 芸術・文化・芸能
- 教員
- 税務行政
出典・脚注
関連項目
外部リンク