桂やまと江戸三代目桂文治が受領した際に名乗った「桂大和大掾藤原忠誠」に由来する。漢字表記の「桂大和」を含めると六代目に当たる。
三代目 桂 やまと(1974年8月30日 - )は、日本の落語家。本名:田中 秀樹。東京都荒川区西尾久出身。芸紋は一つ花沢瀉。出囃子は義太夫の「千両幟(関取千両幟)」。ただし独演会では長唄「汐汲(三蓋傘の前の合方)」も使う。所属団体は一般社団法人落語協会(1999年3月 - )。芸能事務所は石井光三オフィス(2021年4月 - )。 経歴荒川区立西尾久保育園、荒川区立尾久西小学校、荒川区立第七中学校を卒業。 東京都立白鷗高等学校を経て、二浪の末、1995年に中央大学文学部教育学科心理学コース(現・心理学専攻)に入学。在学中は中央大学落語研究会に所属。臨床心理士やカウンセラーを目指していたが自分には向いていないと感じ、1年の終わりには噺家になると決めていた。創部40年が経っていたが、それまで中大落研からプロが輩出されなかったのは、初代顧問だった九代目桂文治(通称「留さん文治」)の「あなた方は立派な大学生なんですから、プロになろうなんて思わず道楽でおやんなさい」という教えを守ってきたため。やまとは卒業までの間、親だけでなくOBたちも説得し続けて心理学を学びながらプロを目指した。当時の高座名は三代目「ふられ亭航海」。 1999年3月、大学卒業と同時に中大落研を指導していた七代目桂才賀(九代目文治に入門し、没後は古今亭志ん朝門下へ)に入門。学生落語の時の優しい師匠とは一変。一番弟子というだけでなく、元海上自衛官の才賀の修行はかなり細かいうえに厳しく、回りにいた客や仲間が「もうそのへんで勘弁してやんなよ」とたびたび止めに入るほどだったとのこと。それでも才賀について、「本気で一人前にしようとしてくれてたのはわかってましたから。そんな師匠のおかげで何もできなかった自分が、動ける人間に変わることができた」とやまとは感謝の言葉をよく口にしている。7ヶ月の見習いを経て11月より前座として楽屋入り。前座名は「桂才ころ」。 2003年5月1日、古今亭朝太、古今亭志ん公、三遊亭司と共に二ツ目昇進し「桂才紫」と改名。2012年、第11回さがみはら若手落語家選手権で優勝。 2014年3月、三代目柳家東三楼、四代目柳家三語楼、三遊亭究斗、五代目古今亭志ん好(志ん公改め)と共に真打昇進し、三代目となる「桂やまと」を襲名。中大落研出身で初の真打となる[1]。 芸歴
受賞歴人物2008年、つんく♂プロデュースの「NICE GIRL プロジェクト!」のイベント「ナイスガールプロジェクト 初めての寄席~ナイスなひと時~」で、キャナァーリ倶楽部の高田あゆみなどメンバー8人に落語を指導した[2]。 2014年12月、テレビ番組「乃木坂って、どこ?」の企画で、当時SKE48と乃木坂46を兼任していた松井玲奈に「桂しるこ」の高座名を与え、古典落語『時そば』の稽古をつけた[3]。 長唄太鼓・小鼓などの鳴物を得意としており、二代立花家橘之助の襲名披露興行では締太鼓、大太鼓、銅鑼、拍子木、木魚、小鼓などの鳴物を一人で担当した[4]。 以前はタバコを一日40本、酒も一日1升近く必ず飲む酒豪であったが、一念発起してからはどちらも一切やっていない。今も芸人仲間や客人との付き合いで酒席に行くことはあるが、「ノンアルコールビールがあれば最高。もしなければ炭酸水で十分」とは本人の談。 日本心理学会の認定心理士や、荒川区立小学校のPTA会長を長く務め、令和4年度は荒川区立小学校PTA連合会の連合会長も務めた。 母校である中央大学にも積極的に関っていて、落語研究会の指導役を務めて学生たちに教えている。また学員(中大OB・OGの呼称)の支部には東京文京区支部、荒川区支部、南甲倶楽部に所属している。 また他にも荒川区青少年育成尾久地区委員会理事、荒川区立第七中学校父親の会(2020年 - )、東京都立白鷗高等学校鷗友会理事(2023年度 - )、荒川西ライオンズクラブ正会員(2023年7月 - )と、芸人でありながら地域や母校への活動に積極的に参加している。 なお、シンガーソングライターの服部名々子は、やまとの従姉妹である。 逸話長年、文化庁芸術祭で審査員をやっていた長井好弘氏曰く「大衆芸能部門にて激戦の中わずかな差で受賞には届かなかったが、最終候補まで残る事が本当に多かった」とのこと[5]。 弟子色物出囃子2022年現在、寄席やホール落語では「千両幟」を使い、独演会などで2回登場する際には「千両幟」と「汐汲」を併用している。 主な演目出演舞台映画
参考文献脚注
出典
外部リンク
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