東京都立白鷗高等学校・附属中学校
東京都立白鷗高等学校・附属中学校(とうきょうとりつ はくおうこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう、英語: Tokyo metropolitan hakuo Senior high school - Junior high school)は、東京都台東区元浅草に所在する東京都立中学校・高等学校。高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校。 概要1888年12月に「東京府高等女学校」として創立。東京都内では初の公立中高一貫校で、高校は都立高校の中で日比谷(1878年)、戸山(1888年9月)に次いで3番目に古い歴史を持つ。教育理念は「開拓精神」。 日本の伝統芸能の継承を特長として打ち出しており、中学入試は囲碁、将棋、邦楽、邦舞の分野での特別募集枠を設定している。在校生には歌舞伎役者の弟子や日本棋院の院生も在籍している。 沿革略歴1888年12月に「東京府高等女学校」として創立し、1901年「東京府立第一高等女学校」(府立一女)と改称。女子教育の先駆として知られる市川源三校長や、豊島師範(現:東京学芸大学)の校長を10年にわたって務め、また京都府立女子専門学校(現:京都府立大学)の校長を務めた桜井賢三校長などの尽力もあって、戦前から名門の高等女学校としてその名を全国に馳せた。東京府全域から才媛が通学。「浅草の一女・小石川の二女(竹早)・麻布の三女(駒場)」と並び称されたナンバースクールであった。 戦後、学制改革を経て男女共学となる。1992年にコース制が導入されると、他校に先駆けて全都から通学が可能となった。 2003年の学区撤廃後は自校作成問題の導入、隔週(年間18回)土曜授業や勉強合宿の実施など教育改革を行っている。 2005年には、統合により廃校になった台東区立台東中学校の跡地に附属中学校を設置し、東京都内で初の公立中高一貫校となった。2011年、初めて中高一貫教育を修了した2010年度卒業生から東京大学合格者5名を輩出し、「白鷗ショック」とよばれ教育業界に衝撃を与えた[1][2][3]。 2023年度から高校からの生徒募集を停止し、附属中学校の生徒の募集規模を拡大する計画となっている[4]。 年表![]()
交通アクセス高等学校は西校舎、附属中学校は東校舎となっている。
象徴制服
教育伝統的に生活指導に力を入れており、染髪は禁止である。予備校に頼らない計画的な進路指導を目標としており、「辞書は友達、予習は命」は白鷗高校・附属中学を代表する言葉として知られている。また、通常授業の場合1日7時間45分授業である。年間を通して多くの試験が課されており、定期試験のほか、1学期の春休み宿題テスト(1年生を除く)、2学期の夏休み宿題テスト、3学期の冬休み宿題テスト、その他外部模試も実施。6,7時間目には、週1回程度「白鷗タイム」と呼ばれる学習時間(総合的な学習の時間)が設けられている。高等学校「芸術」科における音楽選択者では三味線や長唄が必修で、能や狂言などを体験して日本の伝統文化が学ばれている。 国際社会の中で情報発信ができる生徒の育成を目指し、中学では「プレゼンテーション」、高校では「Presentation In English」などの学校設定必修選択科目がある。また、5年次と6年次には日本の文化について学ぶ「日本文化概論」という科目もある。 諸活動部活動
行事1年(中1)の夏休みに課題発見学習、2年(中2)の夏休みに農業体験学習、3年(中3)の卒業後の春にはアメリカ西海岸への研修旅行が行われる。また、その対策としてTGG(東京グローバルゲートウェイ/東京英語村)への修学旅行がある(2017年度までは京都および奈良への修学旅行が毎年秋に行われていた)。高校入学生を迎えた4年(高1)では、4月にHR合宿がある。5年(高2)では希望者のみで勉強合宿が夏休みに、11月初旬にはマレーシア(2009年度は鳥インフルエンザの影響で関西に変更)への修学旅行があるなど、6年(高3)を除いて毎学年1回は宿泊行事が存在する。 また、中3と高1において、希望者のみではあるが、オーストラリアでの短期留学が行われている。希望者が多く、抽選となった。なお、2009年度は新型インフルエンザの影響で中止になった。
過去の行事
研究
学校関係者と組織関連団体高校関係者一覧著名な出身者
教職員
脚注
関連項目外部リンク
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