桐畑和繁
桐畑 和繁(きりはた かずしげ、1987年6月30日 - )は、山梨県甲府市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。 来歴
柏レイソルの下部組織出身。2006年にトップチームに昇格した。 2007年、権田修一の負傷により、繰り上げでU-20ワールドカップに臨むU-20日本代表に選出された[1]。 2010年7月25日、J2第19節ジェフユナイテッド市原・千葉戦で菅野孝憲の退場により、Jリーグ初出場を記録した。 チームがJ1に復帰してからも菅野の控えだったが、2011年6月25日のヴァンフォーレ甲府戦で菅野の負傷によりJ1デビューを飾った[2]。この年は菅野不在時にゴールを守ったが、安定した守りでその穴を感じさせず昇格1年目でのJ1初優勝に貢献した。 その後は左肩関節脱臼[3]や、左膝後十字靭帯損傷[4]などによる離脱もあり、2012年と2013年は公式戦出場が無かったが、2014年9月20日のJ1第24節浦和レッズ戦で菅野の退場により、3年振りとなる公式戦出場を果たすと、以降の公式戦全試合にスタメン出場。チームの終盤の7連勝とAFCチャンピオンズリーグ2015出場権獲得に貢献した。 2016年に菅野が京都サンガへ移籍し、入れ替わりでアビスパ福岡への期限付き移籍から復帰した中村航輔とレギュラーを争い敗れる。しかし第2GKとして常にベンチ入りし、中村が長期離脱した2018年には自己最多の18試合に出場。以降も緊急時の代役としてクラブを支える。しかし、2020年に韓国代表GKキム・スンギュが加入。さらに若手の滝本晴彦がJ1デビューをするなどの台頭もあって第4GKに降格した。 2020年12月19日、契約満了により柏からの退団が発表された[5]が、2021年1月9日、再契約を結び、FC岐阜への期限付き移籍が発表された[6]。 2022年11月18日、岐阜への期限付き移籍終了および柏との契約が満了になったと発表された[7]。 2023年1月8日、自身のInstagramにて現役引退を発表[8]。 さらに同年1月25日、クリアソン新宿でGKコーチに就任することが発表された[9]。 所属クラブ
個人成績
代表歴指導歴
脚注
関連項目外部リンク
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