横手市立南小学校
横手市立南小学校(よこてしりつ みなみしょうがっこう)は、秋田県横手市雄物川町東里にかつて存在した公立小学校。 概要南小学校は、里見小学校・雄南小学校の統合によって1999年(平成11年)に開校した学校であるが[2]、2015年(平成27年)に雄物川小学校へと統合され、閉校した[3][4]。閉校時まで使用された校舎は旧里見小学校のもので、1978年(昭和53年)に竣工している[5]。 校名である「南小学校」は1999年の里見小・雄南小の統合の際から使用されているが[2]、2000年に同じ雄物川町内で開校した「雄物川北小学校」と違い、地名である「雄物川」を校名に冠しない(「雄物川南小学校」ではない)。 校舎は2019年に解体[6]、跡地はJA秋田ふるさとに売却され、2022年(令和4年)4月27日に多機能型低温倉庫が竣工している[7][8]。統合前の雄南小については、里見公民館分館「雄南のびる館」として校舎が活用されていたが、2022年9月30日をもって廃止された[9]。廃止後、建物や敷地の利活用についての方針を定めるため、市は2023年12月1日よりサウンディング型市場調査を実施[10]。2024年2月に調査結果を発表することにしている[10]。 歴史略歴![]() 南小学校の起源となる「東里小学校(後の里見小)」は1875年に、「八幡学校(後の雄南小)」は1877年に開校した[5]。東里小は1884年に望嶽小学校(後の雄物川北小学校)の分校となり、1887年には東里・樽見内・砂子田分校を合併し樽見内分校となった[5]。1889年には村合併によって里見村が発足し、分校から独立して「里見小学校」へ、1901年には高等科を附設し「里見尋常高等小学校」へと改称した[5]。 八幡学校は1882年に今泉学校(後の睦合小学校)と統合、同時に谷地新田分校を設置した[11][12]。その翌年である1883年に今泉学校から睦合小学校へと改称、1887年に睦合小学校がさらに睦合尋常小学校となると[13]、谷地新田分校は廃止され、同年7月に谷地新田分教室が分校跡地に開設された[5][14]。1892年には「開闢(かいびゃく)尋常小学校」として独立するが、1910年に再び睦合尋常高等小学校の分教場となった[5][15]。 第二次世界大戦が勃発し、国民学校令が公布された1941年に里見尋常高等小は「里見国民学校」へ[5]、終戦後の学校教育法によって「里見村立里見小学校」へ、1955年には里見村が雄物川町へ編入した際には、「雄物川町立里見小学校」へと改称した[5]。また、谷地新田分教場の所在する睦合村が十文字町と合併した1955年、分教場から独立し「十文字町立睦合北小学校」として発足した[16]。1977年、分町によって睦合北小は雄物川町立となり、同時に校名も「雄物川町立雄南小学校」へと改称された。 1999年には里見小・雄南小が統合され「南小学校」が発足するが、2005年の市町村合併を経て2015年に雄物川小学校へと統合されて閉校した[3][4]。 年表以下、注釈の無い項目は『雄物川町郷土史(1980年)』の情報によるもの[17][5]。 とくに学校名を記載しない場合は里見小(前身を含める)について指す。 →今泉学校(後の睦合小学校)の沿革などについては「横手市立睦合小学校」を参照
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校歌
脚注
参考文献
関連項目
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