横浜DeNAベイスターズ 会社名
株式会社 横浜DeNAベイスターズ 創設
1950年 今シーズン
2025年の横浜DeNAベイスターズ 所属リーグ
イースタン・リーグ 歴代チーム名
大洋ホエールズ(1950年 - 1951年)
大洋松竹ロビンス(1953年)
洋松ジュニアロビンス(1954年)
大洋ジュニアホエールズ(1955年)
大洋ホエールズ(1961年 - 1977年)
横浜大洋ホエールズ(1978年 - 1992年)
横浜ベイスターズ(1993年 - 1999年)
湘南シーレックス(2000年 - 2010年)
横浜ベイスターズ(2011年)
横浜DeNAベイスターズ(2012年 - 現在) 本拠地
横須賀スタジアム (神奈川県 横須賀市 ) 収容人員
5,000人 獲得タイトル
シリーズ優勝 (1回)
リーグ優勝 (4回)
球団組織 運営母体
ディー・エヌ・エー(DeNA) 監督
桑原義行 テンプレートを表示
横浜DeNAベイスターズ (よこはまディー・エヌ・エー・ベイスターズ、Yokohama DeNA BayStars )のファーム は、日本 のプロ野球球団 ・横浜DeNAベイスターズ の下部組織として設置されているファームチーム 。イースタン・リーグ の球団のひとつ。2000年から2010年のシーズン終了までは「湘南シーレックス 」(しょうなんシーレックス、Shonan Searex )という名称だった(詳細は後述)。
本拠地は横須賀スタジアム (神奈川県 横須賀市 )。
準本拠地であるバッティングパレス相石スタジアムひらつか (神奈川県平塚市 )で月2試合ほど公式戦を行う。本拠地以外の主催試合に関しては横浜DeNAベイスターズ主催試合の地方球場一覧 を参照。
歴史・概要
1949年 暮れに発足した「大洋ホエールズ」(たいようホエールズ)の二軍として一軍創設と同時に誕生したとみられ、1950年のプロ野球二軍選手権に参加している。
渡辺大陸 総監督が退団した1951年5月に二軍組織が一時解散したことから、山陽電気鉄道 傘下の独立二軍球団『山陽クラウンズ 』に二軍選手の育成を委託するという、今日のアメリカにおけるメジャーリーグ球団とマイナーリーグ球団のような方式をとっていた。
1952年10月、山陽クラウンズが解散。1953年1月、一軍が松竹ロビンス と合併。これに伴い、山陽から復帰した選手と松竹の二軍を合併する形で活動を再開。1954年に新日本リーグ に「洋松ジュニアロビンス」(ようしょうジュニアロビンス)として参加、小倉市 (現:北九州市 )の小倉豊楽園球場 を本拠地とする。しかし、松竹 が同年末をもって球団経営から撤退したため「大洋ジュニアホエールズ」に改称し、イースタン・リーグ(第1期)へ参加。この際に川崎市 へ移転し、長期間のリーグ中断を経て1961年よりイースタンリーグ(第2期)に参加した。
大洋多摩川グランド (1955年~1980年)、保土ヶ谷大洋球場(1980年~1986年、現:横浜FC東戸塚フットボールパーク in 横浜スポーツマンクラブ )を経て、1986年 に平塚球場を本拠地として以来、湘南 地域[ 注釈 1] をフランチャイズ と位置づけた(実際は二軍には保護地域はない)。1997年 の横須賀スタジアム改修工事完了後は横須賀と平塚の2球場を主に使用していた。
2000年 1月1日 、二軍の独立採算化および一軍との差別化を目的に、ファーム独自の球団名採用を決定。「海」を表す“Sea”と、ラテン語で「王」を意味する“Rex”を組み合わせた造語から「湘南シーレックス」と命名[ 注釈 2] 。球団旗も独自のデザインに変更したが、ベイスターズ同様に「REACH FOR THE STARS」のスローガンが入った。また、チームエンブレムは2本のバットに「三浦半島 と相模湾 を中心とした神奈川県湘南地域」を図案化した。あわせて、地元を中心に独自のスポンサーを募るなど独立採算を模索するための部署「シーレックス事業部」を開設。しかし毎年2億円前後の赤字を計上するなど採算割れを解消できず、2004年に解散。その後は球団業務部内の一部署となった。
一軍とは異なるチーム名やユニフォーム などの使用により、若手選手の意識向上を促すとともに、観客へのサービス向上などを通じた地域密着を目指した。本拠地は引き続き横須賀スタジアムを使用(平塚球場は準本拠地と位置づけた)。
二軍としては異例だが、毎年11月には横須賀スタジアムで「ファン感謝デー」を行っている。[ 注釈 3]
日本のプロ野球球団におけるユニフォームの多くは、背番号・背ネーム部分をユニフォームの生地に直付け(刺繍もしくはプリント)する。そんななか、湘南のユニフォームの背ネーム部分は、アーチ状の生地へネームをプリントしユニフォームの生地に縫い付けていた。これは「シーレックスに定着されては困る」という励ましの意味を持ち、2020年現在、日本のプロ球団においては唯一の例である。
同じ横須賀市を本拠地とする社会人チームの日産自動車 (2009年休部)とは密接な関係性にある。2001年8月15日には柳川事件 以後初となるプロアマ交流戦を行ったほか、毎年交流戦を開催した。また、「湘南」を冠するプロサッカークラブである湘南ベルマーレ も、合同トレーニングなどの実施で交流を深めている。
相模原市の政令指定都市 指定に向け、相模原球場 の所有者が神奈川県から相模原市へ移譲したことに伴い、2009年シーズンより同球場を準本拠地に加える[ 注釈 4] 。
2010年 10月より「湘南シーレックス」のチーム名を廃止し「横浜ベイスターズ」に戻す[ 注釈 5] 。ユニフォームは一軍と同デザインとなった。2011年 12月1日、日本プロ野球オーナー会議ならびに実行委員会にてDeNAによる横浜ベイスターズ買収とオーナー会社変更が承認される[ 1] 。翌2日、球団株式が譲渡され、商号変更により「横浜DeNAベイスターズ」として新たにスタートを切った。
1987年 に竣工した同市長浦町のマルハニチロ アセット社有地(旧:大洋漁業 倉庫敷地跡地)に球団が借り受けて使用していた横浜DeNAベイスターズ総合練習場 (ベイスターズ球場)[ 注釈 6] の老朽化や、同練習場と試合会場となる横須賀スタジアムのある追浜公園 との離れた距離に鑑み、2016年 4月 、横須賀市とベイスターズ球団は、合宿所・練習用サブ球場などを追浜公園内に集約・一体化させることを目指した基本協定を締結[ 2] 、2019年7月に「DOCK OF BAYSTARS YOKOSUKA」 として竣工した[ 3] 。これを受けて、横須賀市・ベイスターズ球団と、横須賀市・1軍本拠地の横浜市 が沿線に入っている京浜急行電鉄 (京急電鉄)と3社連携協定を結び、スポーツを中心とした魅力あふれる街づくりを進めることで合意した[ 4] 。
略歴
1950年 頃 - 大洋ホエールズ創立とほぼ同時に二軍発足。「プロ野球二軍選手権」参加。当時は下関市 を本拠地とした。
1954年 - 新日本リーグ に「洋松ジュニアロビンス」として参加。1軍本拠地は大阪市 だったが、2軍は下関市と小倉市(現:北九州市)のダブルフランチャイズを採用。
1955年 - イースタン・リーグ発足。「大洋ホエールズ」に改称し参加。ここから本拠地を川崎市 に移す。
1961年 - イ・リーグ再発足。当時の本拠地は大洋多摩川グランド(神奈川県 川崎市 中原区 等々力向原3021)。
1968年 - イ・リーグ優勝。
1975年 - イ・リーグ優勝。
1978年 - 「横浜大洋ホエールズ」(よこはまたいよう - )に改称。
1980年 - 本拠地を保土ヶ谷大洋球場へ移転。
1982年 - イ・リーグ優勝。
1986年 - 本拠地を平塚球場(現:バッティングパレス相石スタジアムひらつか)へ移転。
1987年 - 練習場を新設した横浜大洋ホエールズ総合練習場(現:横浜DeNAベイスターズ総合練習場、通称:ベイスターズ球場)へ移転。
1993年 - 「横浜ベイスターズ」に改称。
1997年 - 本拠地を横須賀スタジアムに移転。このころより、ユニフォーム左袖に「かがやけYOKOSUKA」と二段組みで書かれたワッペン が付けられた(1999年 まで)。
2000年 - 「湘南シーレックス」に改称。
2009年 - 相模原球場(現:サーティーフォー相模原球場)を準本拠地に加える[ 注釈 4] 。
2010年 10月 - 「横浜ベイスターズ」に改称。
2012年 - 「横浜DeNAベイスターズ」に改称。
2016年 2月 - 横須賀市と横浜DeNAベイスターズ球団が、追浜公園内に2軍の練習施設を集約するための基本協定を締結[ 2]
2019年 7月 - 2軍練習場(屋外練習場=練習用サブ球場、屋内練習場、合宿所)を集約した「DOCK OF BAYSTARS YOKOSUKA」が完成[ 3]
2024年 - イ・リーグ42年ぶり4度目の優勝[ 5] 。これにより、球団史上初となるファーム日本選手権 への出場が決定。10月5日、ウ・リーグで優勝したソフトバンクに6-2で勝利し、初出場で球団初のファーム日本一に輝いた[ 6] 。
監督・コーチ
歴代監督
一覧は、イースタン・リーグ再発足以降。
1957年 - 1958年:宮崎剛 (第1次)
1961年 - 1962年:保井浩一
1963年 - 1965年:宮崎剛(第2次)
1966年:沖山光利
1967年:宮崎剛(第3次)
1968年 - 1969年:藤井勇
1970年 - 1971年:山田潔
1972年:宮崎剛(第4次)
1973年:土井淳
1973年 - 1974年:鈴木隆
1975年 - 1976年:引地信之 (第1次)
1977年:秋山登
1978年 - 1979年:引地信之(第2次)
1980年 - 1981年:須藤豊
1982年 - 1984年:山根俊英
1985年 - 1986年:江尻亮
1987年 - 1988年:前田益穂
1989年 - 1992年:中塚政幸
1993年 - 1996年:米田慶三郎
1997年 - 1998年:竹之内雅史
1999年 - 2003年:日野茂
2003年:江藤省三
2004年 - 2006年:岩井隆之
2007年 - 2010年:田代富雄 ※1
2011年:白井一幸
2012年 - 2013年:山下大輔
2014年:大村巌
2015年:山下大輔(第2次)
2016年 - 2017年:二宮至
2018年 - 2019年:万永貴司
2020年:三浦大輔
2021年 - 2023年:仁志敏久
2024年 :青山道雄 ※2
2025年 - 桑原義行
※1 2009年5月18日よりシーズン終了まで一軍監督代行に就任。その間、シーズン終了までを高木由一 が代行
※2 体調不良のため、2024年6月7日・8日は鶴岡一成 が代行
キャラクター(球団マスコット)
日本プロ野球では1、2軍合わせ最多の16人。モチーフは海の生物(テントリーのみテントウムシ )。全員がベイスターズ二軍の一員という設定。ただし、試合に登場する着ぐるみ はレックのみ。
横浜京急バス 追浜営業所 では、これらのキャラクターを起用した路線バス2台を「シーレックスバス」として、追浜地区路線と磯子駅 - 追浜車庫前線で運行。
漫画家のいけだたかし が横浜の情報誌「Beautiful Yokohama」(2004年シーズンで廃刊)で、球団マスコットたちの活躍を描いた漫画を掲載していた。
2012年3月20日のイースタンリーグ公式戦にて全員引退した。
レック
ベイスターズ二軍のエースで、キャプテンを務める。チームから慕われる人気者。ポジションは投手。背番号01。「シーレックス」廃止に伴い、2011年以降は横浜ベイスターズのマスコットの一員となる。二軍マスコットであるが、球団側は「ホッシーの働きが悪ければホッシーを二軍に落とし、入れ替わりで一軍登録もあり得る」とコメントしていた。しかし、結局一軍に昇格されないまま引退となった。
レッタコス
ベイスターズ二軍の女房役的存在。野球に関しては理論派だが性格は短気。怒るとスミを吐き出す。ポジションは捕手。背番号02。
スー
ベイスターズ二軍一の美人選手。守備は華麗だが打撃はいまいち。しかし、とてもおしゃれな女性である。ポジションは一塁手。背番号03。
カモドッキー
ベイスターズ二軍の俊足選手。そそっかしいが、誰とでも仲良くなれる優しい性格。不思議な言葉づかいの持ち主である。ポジションは二塁手。背番号04。
ナンナン
喜怒哀楽がはっきりと表情に出るキュートな女の子。チームのマスコット的存在である。ポジションは三塁手。背番号05。
クスマキ
寡黙な性格だが、ファイトプレイはチーム一の腕白小僧。ヘッドスライディングはお手の物。ポジションは遊撃手。背番号06。
タヌパンマキ
練習嫌いでいたずら好き。ずる賢い性格だが、なぜか憎めないヤツ。ダジャレ が得意。ポジションは左翼手。背番号07。
ショー
華麗な守備を見せる名プレイヤー。根は優男で、スーにアタックしても相手にされないらしい。ポジションは中堅手。背番号08。
アンコラーノ
チーム一の大食漢。鈍足だが、何故か強肩の持ち主である。ポジションは右翼手。背番号09。
シュリンピー
バネを生かした「エビゾリ投法」の持ち主のリリーフエース。子供が24人いる。背番号10。
クルマキ
クスマキの妹。兄との出場を夢見る「思い込み」アイドル的存在。ポジションは外野手。背番号12。
ボー
恥ずかしがり屋の女の子。耳を閉じるとまん丸くなる。名前通りボーっとしている。ポジションは内野手。背番号13。
サンジュゴロー
紅顔の頑固者で、監督の言うことを聞かず、身勝手。打ち出すと止まらない打撃の持ち主であるが、好不調の波が激しい。
ポジションは捕手。背番号35。
ハマグリン
いつもは冷静な哲学者の外見だが、居眠りの名人。物知りで、チーム最年長のコーチ。背番号89。
テントリー
ヘッドコーチで、身体はピンポン球サイズ。敵のチームに飛んでいく参謀役の存在。背番号64。
シーノン
いつもは冷静だが、試合になると血が騒ぐ熱血漢に。ファンからも親しまれている温情監督で、背番号71。シーレックス発足当時の監督であった日野茂 がモデルと言われている。
放送・配信
脚注
注釈
^ 元来『湘南』は神奈川県の相模湾沿岸地方をさす。
^ 同年はオリックス・ブルーウェーブ が同じく二軍 のチーム名を「サーパス神戸」に改称。なお、2006年には「サーパス」、2009年に現在の一軍と同じ「オリックス・バファローズ」にそれぞれ改称している。
^ これに倣い、現在の北海道日本ハムファイターズ は、千葉県 鎌ケ谷市 のファイターズ鎌ケ谷スタジアム にて二軍 のファン感謝デーを同月に開催している。
^ a b 1992年~1996年までは日本ハムの二軍が本拠地としていた。
^ 2010年8月のプロ野球実行委員会にて正式承認を受けた。これにより1999年以来11シーズンぶりに、日本プロ野球の二軍全球団が一軍と同名称となる。なお、2010年レギュラーシーズン終了後のフェニックス・リーグ から「ベイスターズ」の名称を使用している。またこの11シーズンの間、二軍では横浜やオリックス以外にも埼玉西武ライオンズ が2005年~2006年まで「インボイス」、2007年に「グッドウィル」としていた。
^ 同練習場内の野球場では、春秋の教育リーグ やアマチュアチームとの練習試合並びに一部のイースタンリーグの公式戦で使用された。
出典
^ “横浜DeNA誕生 組閣、補強、村田のFA流出阻止が急務 ”. スポーツニッポン (2011年12月1日). 2011年12月1日閲覧。
^ a b “横浜DeNAベイスターズ総合練習場の移転” . 横須賀市 . (2018年7月2日). オリジナル の2019年9月18日時点におけるアーカイブ。. https://archive.fo/GOIh1 2019年9月19日閲覧。
^ a b “選手やコーチ・トレーナーの声を反映した、選手が強くなるための寮「青星寮」を新設!追浜公園内の新たなファーム施設「DOCK OF BAYSTARS YOKOSUKA」が7月下旬に完成!” . 横浜DeNAベイスターズ . (2019年7月3日). オリジナル の2019年9月18日時点におけるアーカイブ。. https://archive.fo/lGwsT 2019年9月19日閲覧。
^ “横須賀市、株式会社横浜DeNAベイスターズ、京浜急行電鉄株式会社との三者連携に関する基本協定書締結について” . 京浜急行電鉄 株式会社 . (2018年11月19日). オリジナル の2019年9月19日時点におけるアーカイブ。. https://archive.fo/FHWcI 2019年9月19日閲覧。
^ “2024年度 イースタン・リーグ優勝決定!! ”. 横浜DeNAベイスターズ (2024年9月28日). 2024年9月28日閲覧。
^ “DeNA 球団初のファーム日本一 育成ルーキー・庄司が6回無失点の好投! フォードが2打席連発 - スポニチ Sponichi Annex 野球 ”. スポニチ Sponichi Annex . 2024年10月5日閲覧。
関連項目
外部リンク
球団 本拠地 文化 球団歌・応援歌 日本一(3回) クライマックスシリーズ優勝(2回) リーグ優勝(2回) できごと