池田銀行
![]() 株式会社池田銀行(いけだぎんこう、英: The Bank of IKEDA, Ltd.)は、かつて存在した池田泉州ホールディングス傘下の地方銀行。大阪府池田市に本店を置き、東京証券取引所に上場していた。2010年5月1日に泉州銀行と合併し、池田泉州銀行となった[1]。 概要大阪府北部と兵庫県東部を中心に京都府・東京都にも支店と出張所を持つ、いわゆる戦後地銀であった。泉州銀行との経営統合の関係から三菱東京UFJ銀行との関係が深く、みずほコーポレート銀行の資本も同行と同程度入っていた。 戦時中の政策で住友銀行に吸収された池田実業銀行で最後に頭取を務めた清瀧幸次郎が、池田信用組合を母体として1951年に設立。創立時に旧・阪急電鉄(現在の阪急阪神ホールディングス)が関与し、同社の創業者小林一三が相談役を務めた経緯から、阪急阪神東宝グループとの関係が密接で、池田泉州銀行となった現在も、同社の大株主としてその経営への影響力を持つ。 2010年、池田銀行を存続行として泉州銀行と合併。名称を池田泉州銀行とした[2]。 上記の通り、阪急阪神東宝グループとの関係から、1968年以降イメージガールとして宝塚歌劇団の生徒を起用。元来はポスター・新聞などのスチル媒体のみの宣伝であったが、2006年からテレビコマーシャルを関西ローカルで放送を開始。ちなみに9代目(最後)となるイメージガールは野々すみ花で、合併行である池田泉州銀行がこれを継承。同行の初代イメージガールに横滑りとなった。 →歴代イメージガールについては「宝塚歌劇団#池田銀行・池田泉州銀行」参照
店舗展開神戸支店(阪急沿線の末端に当たる)が神戸三宮駅から徒歩圏内、京都支店が四条河原町の河原町駅のすぐ南に位置する[3]など、阪急沿線を中心としていた。阪急駅構内にステーションネットワーク関西が設置するATMである、PatSatの管理銀行でもあった。 沿革
関連会社
脚注
関連項目 |
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