渡邉奏太
渡邉 奏太(わたなべ そうた、1998年3月8日 - ) は、静岡県富士市出身の陸上競技選手。専門は長距離種目。静岡県立吉原工業高等学校・東洋大学卒業。サンベルクス陸上部所属。 来歴・人物吉原工業高校時代には、福岡国際クロスカントリー大会のジュニアの部で優勝するなど多くの大会で活躍した。2016年、東洋大学経済学部に進学した[1]。同期に相澤晃がいる[1]。 入学直後の4月、兵庫リレーカーニバル・アシックスチャレンジ10000mでは28分59秒77で10位となった[2]。6月上旬にベトナムのホーチミン市で開催された第17回アジアジュニア陸上競技選手権大会でも10000mに出場し、31分23秒93の記録で優勝した[3]。 学生駅伝デビューとなった第28回出雲駅伝は4区を担当するが、3区の服部弾馬が3人抜きで作った勢いには乗れず7位から9位に後退。区間12位と苦戦し監督の期待に応えられなかった。第48回全日本大学駅伝では5区を担当し、7位から5位に順位を押し上げる走りを見せた。第93回箱根駅伝では16人のエントリーメンバーに入ることはできなかった。 2年次の第29回出雲駅伝では最終6区を務めるも脱水症状に陥り、3位から5位に後退した。しかし第49回全日本大学駅伝では2区で区間2位の好走。1区の相澤からトップでタスキを受けると工藤有生(駒澤大学)らと先頭集団を形成し、最後は工藤に13秒差をつけトップを守る。チームは5区まで首位を快走した。第94回箱根駅伝では7区を務め区間3位と健闘したものの、前を行く林奎介(青山学院大学)が区間新記録を樹立する独走劇を演じたために、優勝争いに決着をつけられる格好となった。 3年次、4月の日体大記録会5000mで自己ベストを記録。しかしその後は故障に悩まされ、第50回全日本大学駅伝では5区にエントリーされたものの当日変更。第30回出雲駅伝・第95回箱根駅伝はメンバーから外れた。冬に足首の手術を決断。 4年次の秋までリハビリに専念し、第51回全日本大学駅伝で実戦に復帰。1区を務め集団を積極的に引っ張る走りでトップと16秒差の区間6位にまとめた。第96回箱根駅伝では4区を務めたが、序盤から足首に痛みが出てペースを上げられず10位から14位に後退。よもやの区間最下位に終わった[4]。 サンベルクス入社初年度の第61回東日本実業団駅伝では6区区間4位と復活を遂げる走りで、チームのニューイヤー駅伝出場に貢献。第65回ニューイヤー駅伝では1区を務めトップと10秒差の区間8位と健闘した。この大会ではスタート前のチーム紹介の際、渡邉のベンチコートに「カニ返して」と大書きされていたことが話題となった[5]。 自己ベスト
戦績・記録主な戦績
学生三大駅伝
関連項目脚注
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