測天型敷設艇
測天型敷設艇(そくてんがたふせつてい)は、日本海軍の敷設艇[3]。同型艦5隻[3]。 法令上(特務艇類別等級[1])は③計画艦5隻と④計画艦9隻を合わせて測天型としているが、このページでは③計画艦5隻のみを扱う。④計画艦は平島型敷設艇を参照。 計画②計画で建造された夏島型敷設艇3隻[16]に続き、防備隊所属敷設艇の代替艇として③計画(昭和12年度)により5隻建造された[17]。 昭和12年度(1937年)の成立予算は1隻当たり2,450,000円[18]、昭和16年度(1941年)に物価高騰を考慮した予算が追加され[19]、1隻当たり2,540,064円となった[20]。 仮称艦名は「第57号艦」から「第61号艦」[17]。 艦型計画番号H11[6]。 前型の夏島型敷設艇(計画番号H5、H5b[21])の改良型になる[17]。 軍令部の要求も夏島型に準じたものだったが、公試排水量を本型から機雷搭載状態に変更したため、計画で750トン(夏島型は510トン[16])となった[17]。 船体は凌波性向上のため船首楼を艦橋後端まで延長、艦首に向かってシアーを付けた[17](夏島型はシアー無し[16])。 舵は低速での保針性のために半釣合舵を装備した[22]。 主機は当初の計画ではタービンだったが[23]、「猿島」で好評だったディーゼル推進とした[17]。 搭載のマン式3号10型ディーゼルエンジンは元が商船用で比較的低速で重量も大きかったが、性能や信頼性が良く、出入港では内火艇のように自由に操艦できたという[23][注釈 3]。 主砲に代わり、対潜水艦のために発射速度の速い40mm機銃を搭載したが、次型の平島型では8cm高角砲に戻されている[17]。機銃は13mm連装機銃1基も装備した[7]。 機雷は九三式機雷120個の搭載できた[14]。 なお、次型の平島型では九三式機雷、五号機雷、九二式機雷(管制機雷[24])のどれか1種類搭載と計画されている[14]。 機雷を搭載しない場合は、防潜網か捕獲網の搭載も出来た[14]。 機雷庫は機械室の前後に置かれ、艦の前後方向の重心移動も考慮されている[22]。 その他爆雷も36個搭載出来[14]、 いわば対潜哨戒兼敷設艇であった[25]。 運用1937年(昭和12年)から1940年(昭和15年)にかけて、三菱横濱船渠と石川島造船所で建造され[2]、 大戦中は本来の要港防衛や機雷敷設などに加え、船団護衛も行った。 終戦時は「巨済」1隻が横須賀で残存している[26]。 同型艦
脚注注釈
出典
参考文献
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