瀬戸彬仁
瀬戸 彬仁(せと あきひと、1981年10月29日 - )は、広島県広島市出身の元プロフットサル選手。2007年にフットサル日本代表に選出されている。現役引退後の2015年からはシュライカー大阪アンバサダーを務めている。 経歴大阪府茨木市の天王学園幼稚園でサッカーを始める[2]。親の転勤で広島に移り[2]、森島 寛晃、木村和司などを輩出した大河FCに入団。広島皆実高校では1998年に全国高校サッカー選手権大会出場、1999年にインターハイにて全国優勝[3]。2学年上に的場千尋、1学年上に朝日大輔、同学年に秦賢二、1学年下に柴村直弥、堀健人らがいた。 大阪経済大学体育会サッカー部を経て、2004年よりMAG'S FUTSAL CLUB(2007年よりシュライカー大阪に改称)でプレー。2007年にフットサル日本代表に選出。全日本選手権に2回(2010年、2012年)、オーシャンアリーナカップに2回(2008年、2009年)優勝した[3]。Fリーグ通算成績は170試合出場28得点[1]。2015年シーズにはチームキャプテンを務め、同年2月23日、2015/2016シーズン限りでの現役引退がクラブより発表された[1]。 2015年5月、シュライカー大阪のアンバサダーに就任し [4]、「CAOSフットサルスクール」の代表[3]、「一般社団法人 地域スポーツ教育CSR」の代表理事を務める。 所属クラブ
人物元フットサル日本代表、ポリパレントなプレースタイルで数多くのタイトル獲得に貢献。 引退後は「フットサルで子供が夢を見れる環境作りに取り組む」と同時に同クラブの育成マネージャーとしてスクールトレーニングメソッドの構築、指導者の育成など統括的に携わる。 代表を務める「CAOSフットサルスクール」では、独自の理論に基づいた育成カリキュラムと高い指導力にて、サッカー・フットサル選手を目指す多くの子供達へ夢実現のサポートをしている。
個人成績
タイトル
関連項目出典外部リンク |
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