白沢 (宇都宮市)
白沢(しらさわ)は、栃木県宇都宮市にある地名。現在の行政上の町名は白沢町(しらさわちょう)[1]。郵便番号は329-1102[6]。旧河内町の行政の中心であった。 地理白沢は、栃木県宇都宮市の北東地域、鬼怒川と御用川間の地名である。江戸時代には奥州街道の宿場町白沢宿が置かれた。白沢は1889年(明治22年)4月1日の町村制施行で古里村の大字となり、昭和期には河内村を経て河内町の役場所在地として発展した。2007年(平成19年)3月31日をもって河内町は宇都宮市と合併し、地名が白沢町(しらさわちょう)に変更された。河内町役場に代わって宇都宮市河内地域自治センターが置かれていたが、自治センターは2016年(平成28年)3月に中岡本町へ移転した[10]。 主に、鬼怒川南東岸の低地地区(白沢河原)と宝木台地面にあたる稚ヶ坂北部の台地地区から成る。地区内には旧奥州街道筋にあたる白沢街道(栃木県道125号氏家宇都宮線)、上横倉から下田原を経て東進し白沢宿で南折してJR岡本駅に至る地方主要道栃木県道73号上横倉下岡本線、白沢宿から北上し下小倉に至る栃木県道239号白沢下小倉線が通り、当地域の中核となる公共施設が置かれ宅地化が進んでいる。 歴史近世初期の白沢は集落の形成こそあったが、低湿地帯が広がっていた[11]。慶長5年(1600年)、徳川家康の命を受けた結城秀康は上杉景勝を攻めるために白沢に陣を構えた[11]。この時、鬼怒川の渡河を案内したのが当地の因幡守、源六郎、右京之進の3人で、因幡守は宇加地家の、源六郎と右京之進は福田家の祖先となる[11]。「宇加地家文書」によると、因幡守は関ヶ原の戦いの後、江戸幕府に願い出て往還馬継宿(おうかんうまつぎしゅく)を仰せつかったといい、慶長10年(1605年)に奥州街道の宇都宮宿の次の宿場として白沢宿が設立された[11]。ただし宿場の町割りが整備されたのは慶長14年3月(1609年4月)のことである[11]。 白沢宿は白沢村と上岡本村にまたがる4町30間(≒450 m)の宿場町で、白沢村の宇加地家が本陣を、上岡本村の福田家が脇本陣を務めた[12]。宿場には住吉屋・丁子屋など13の旅籠があり、商家や茶屋も建ち並んだ[11]。1875年(明治8年)、白沢村は上岡本村を合併した[13]。 地名の由来白沢の地名の由来には諸説在る。
人口の変遷
地域
寺社
交通道路
路線バス地域交流館から白沢宿を経由して宝井団地までを結んでいた上河内代替バス河内線は2013年に廃止。 脚注
参考文献
外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia