百万町歩開墾計画

百万町歩開墾計画(ひゃくまんちょうふかいこんけいかく)とは、奈良時代に政府が掲げた計画である。この計画は722年養老6年)閏4月25日長屋王政権下で出された太政官奏(全4条)のうちの第2条に相当する。

概要

従来この太政官奏の第2条と第3条は全国に向けて発出されたものと解釈されていたが村尾次郎[1]が主に奥羽に向け出されたものとする学説を提示しており、これには石母田正らの反論もある。良田百万町歩開墾計画とも呼ばれる。ただ、百万町歩という数字は現実的な数字ではなく[2]、ただの理想、スローガンであるともされている。

太政官奏全4条の内容は以下のとおりである。(現代語訳)

  1. 陸奥の政情が不安定で人民が定住できにくいために,庸調を免じ,また都へ上っている人々を国へ帰す。
  2. 民を10日間労役させて良田百万町を開墾する、国郡司で開墾しない者は罰し、百姓で3,000石以上の収穫をあげれば勲位六階、1,000石以上は終身庸を免除、八位以上の者は勲位一階を昇叙する。
  3. 公私の出挙の利は3割とする。
  4. 辺境の鎮守に食料は重要であるから、その貯えを貢進する者には叙位する。

以上の4段からなっている。 10世紀初めころ編纂された「和名類聚鈔」によると、陸奥国が約5万1,000町,出羽国が約3万6,000余町とあり両国合わせても総田数は9万町に満たないほどであった。また全国の総田数でも88万余町で100万町歩に満たず、これが上記のとおり、スローガンであったのではないかとされる所以である。

脚注

  1. ^ 村田次郎「百万町開墾計画」(芸林、1955.4)
  2. ^ 近代の町歩換算では1町歩=9,917㎡なので、百万町歩=9,917㎢に概算される。

関連項目

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