矢野・兵動
矢野・兵動(やの・ひょうどう)は、吉本興業に所属する日本のお笑いコンビ[1]。1990年結成[2]。共にNSC大阪校9期生[3]。 メンバー→詳細は「兵動大樹」を参照
略歴両者とも1990年にNSC大阪校(9期生)に入学[4]。同期にはナインティナイン、チュパチャップス、へびいちご、川畑泰史らがいる[4]。 兵動は小学生の頃、漫才ブームをきっかけに芸人に憧れを持ち、その後、ダウンタウンを見て芸人を志す。子供の頃から芸人になることを夢見ていた兵動は素人時代から島川学(現・へびいちご)とコンビを結成し、島川と共にNSCへ入学した[4]。当時、市営住宅で同居していた祖母から「市営住宅に住んでいる子は芸人になられへん」と言われ、兵動は「そうなんや」と納得する。これをきっかけに、島川とのコンビを解散し、構成作家を志望するも、NSCに途中入学してきた矢野と出会い、1990年5月に結成する[注 1][4]。 1994年、同期のナインティナインが東京で活躍し始める中、同年の上方お笑い大賞で銀賞(最優秀新人賞)を受賞[4]。その一方で仕事は激減し、営業が月に1回だけという時代が続く[注 2][4]。その頃の矢野は歌好きであったため、自分の好きなことを伸ばそうとボイストレーニングに通い始める[注 3][4]。 2000年以降も仕事が少ない状況は変わらず、十年近く不遇の時代が続く中で、細々と漫才ライブを続けていた[4]。2004年に兵動が結婚し、2006年には第1子が誕生する[4]。その頃、大木こだま(大木こだま・ひびき)の助言により発奮した兵動は2003年にbaseよしもとにて1度行ったトークイベントをベースに、1人で月1回のトークライブ『兵動大樹のおしゃべり大好き。』を定期的に開催することを始めた[4][5]。 2000年頃に兵動が後のR-1ぐらんぷりの基礎となるワッハ上方のワッハホール(現在のよしもと漫才劇場)にて開催された『これも落語だ』というイベントで落語に挑戦する機会があり、それを見たスタッフが「1人喋りでなにかイベントやってみたら?」と声をかけ、後の1人喋りのイベントの開催のきっかけとなる。 2007年の夏、東京で活動していた同期の宮川大輔からのオファーで同年9月放送の『人志松本のすべらない話』(フジテレビ)のスピンオフ企画『大輔宮川のすべらない話』に兵動が出演[6][2]。その後『人志松本のすべらない話』本編にも出演するようになり[5]、2014年2月現在までにMVS[注 4]を計4回獲得[2]。『人志松本のすべらない話』に出演したことによって生活が一変したと述べている[5]。 2009年5月、矢野がエンターテインメント集団「劇団YANOZAILE」を立ち上げる[7]。 2010年には結成20周年を迎え、「結成20周年特別興行 漫才病 矢野・兵動祭〜矢野さんおおいに歌う! 〜」を5月29日になんばグランド花月、6月26日にルミネtheよしもとにて開催[8]。同年10月13日には兵動に第2子が誕生した[9]。 2016年11月、矢野が劇団「PUNK」を立ち上げ、12月に旗揚げ公演『霧の中の星屑たち』を上演し、自身は原案・演出を担当[10]。 受賞歴
出演→兵動大樹としての出演については「兵動大樹」を参照
テレビ現在の出演特番
過去の出演
ラジオ
CM
舞台
掲載雑誌
映像作品
脚注注釈出典
外部リンク
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