神奈川大学附属中・高等学校
神奈川大学附属中・高等学校(かながわだいがくふぞくちゅう・こうとうがっこう、Kanagawa University Junior & Senior High School)は、神奈川県横浜市緑区台村町800に所在する私立中学校・高等学校である。 略称は「神大附属」、「神奈川大附[1]」、「KUHS」等のほか、学校の性質上「神大」が用いられることも多い。 概要神奈川大学附属中・高等学校は、神奈川大学の附属学校[注 1]であるが、神奈川大学への進学者は少ない[2][3]。高校募集を(転入学を除き)行わない「完全中高一貫校」であり、法律上は学校教育法に基づく併設型中高一貫教育校[注 2]にあたる[4]。 1988年(昭和63年)に男女共学に移行した時点から全ての授業を男女共修としているほか、1989年(平成元年)にはコンピュータ教室を設置して現在のICT教育の先駆けとも言える教育を中高で実施する[新聞 2]など、先進的な教育に取り組む姿が見られる[校史 1]。 なお、本稿での神大の表記は原則として全て神奈川大学附属中・高等学校のことを指す。 略史
台村校地の始まり![]() 1965年(昭和40年)5月、当時の同一法人の大学 (以下、大学) の学長および法人の理事長、そして創立者であった米田吉盛は、横浜市港北区中山台村町(現、横浜市緑区台村町800)の52,321坪の土地(台村校地[躍進 2])を取得した[躍進 3][注 3]。当時、米田はイギリスのケンブリッジ大学やオックスフォード大学等のような、寮制度を充実をさせたチューター (tutor)システム・カレッジの日本での造成を実現させようとしており、この土地はその構想の一環として大学の学生寮を建設することが目的であった[躍進 3]。 しかし、1968年1月から全国的に起こっていた学生運動が大学にも影響し、同年9月に米田が大学から退陣せざるを得なくなった。その為、この「チューターシステム・カレッジ」を造成する構想は、この学生運動の対処が原因で手が回らなくなってしまった[注 4]ことにより頓挫してしまった。その後、大学での新しい学長の選出が行われ、大学運営体制の安定が戻ったのは1976年3月のことであった。[躍進 3] 附属学校の設置に向けた構想![]() 1976年4月27日、大学は同大同窓会からの「神奈川大学附属高等学校の設置について」を提案を受け、同年5月11日に「神奈川大学附属高等学校設立調査委員会」を発足。同年9月27日の第7回の委員会での調査報告書にて「本学に附属学校を新設することは可能であり、本学の創立50周年記念事業の一環として神奈川大学附属高等学校を新設するとは、最も適切かつ妥当である。」と結論づけた。この報告は後に、現在の神奈川大学附属中・高等学校の開設に対しての重要な起点となった。翌日の9月28日、同窓会は創立50周年での記念事業の要望として、附属高校の開設を前提とした附属中学の開設及び教育学部の設置を要望した[注 5]。しかし、「神奈川大学事業計画委員会」が同年11月8日から1977年2月8日にかけて創立50周年記念事業計画の事業内容の検討を重ねた結果、大学諸施設の改善や大学の質的充実[注 6]が優先され、台村校地への附属学校の開設は保留となった。 開校に向けた本格的な活動の開始法人理事会は1983年4月25日に、1976年から7年に渡って提唱されていた台村校地への附属学校の設置を全員異議無く承認[躍進 4]し、正式に附属学校設置計画が具体化された。同年5月10日には「附属中学・高等学校設置委員会[注 7]」が発足する。委員会は同年6月22日(第7回委員会)にて設立趣意書や施設概要などを筆頭とした学校設置計画書を確定し、同日に開催された法人理事会がこれを一部修正した上で基本計画書が承認され、法人理事会は同年6月30日に神奈川県に「学校設置計画書」を提出した[躍進 5]。 この内の設立趣意書は次の通りである。
1983年7月18日、法人理事会は「附属中学・高等学校設置委員会」を解散し、新たに「神奈川大学附属学校設置事務室」を設置した。設置以降、附属学校の台村校地への造成事業や校舎建設への調査や手続きを進め、1984年1月14日に神奈川県より附属学校設置計画書が承認された[躍進 5]。 法人理事会は神大の1985年4月の開校を目指し、学校長予定者人事と校舎建設に向けた敷地造成工事に着手した。学校長就任予定者としては、設置者の大学の当時の学長の推薦により、筑波大学附属駒場高等学校にて副校長を務めていた大澤清克に就任を要請し、1984年1月23日の理事会にてこの人事が承認された[躍進 6]。 大澤は、同年4月2日付で理事長付審議役として就任し、開校後には正式に校長として就任する。ここから大澤は、現在の神大を造る為の礎を築くこととなる。 ![]() 法人は、神大の1985年4月の開設を目指す為に早急な校舎建設が求められた。1984年2月24日には台村校地で地鎮祭が実施され、正式な土地造成工事が始まった。そして、同年4月には校舎の建設に着手することとなった[躍進 6]。この間は、関係諸官庁との種々の折衝が重ねられ、同年7月に初年度採用の教員人事、神大の教育目標、教育方針、校訓等が定まり、同年10月5日には神奈川県私立学校設置審議会に設置申請が為された[躍進 6]。その後、1984年10月18日にこの申請が認められ、11月19日には寄附行為の改正認可をもって正式な認可を得た。なお、神奈川大学附属中・高等学校はこの11月19日を開校記念日として定めた[躍進 6]。 神大は、その日の翌日より生徒募集を開始、1985年2月に初めての入学試験を実施、同年4月2日には開校式が行われた。この時に至るまで、法人理事会においての附属学校の構想が為されてからは10年が経過しており、台村校地の取得が為されてからは25年の歳月が経っていた。 開校からの長引く低迷と現代の神大への文化の確立![]() かつて、一時は附属高校のみの開学や、同法人の大学への進学を前提として設立が計画された神大だが、大澤の就任以降は進学校としての学校運営を行う方針として舵を切ることになった。しかし当時は、厳しい受験指導や詰め込み教育が問題視される時代だった[新聞 3]ことや、大澤の前任校であった筑駒よりも学生が多種多様な性格を持っていると判断していたこともあり、「国際社会に対応しグローバルな視野を養うため英語を重視し、基本的な思考力の熟成のため数学や理科の時間を増やしながらも個々の生徒の能力や適性に応じた教育課程」を教育方針とした[校史 2][注 8][躍進 7]。つまり、「情報教育」、「理数系教育」、「英語教育」の3つの教育を中心とする教育方針[新聞 3]である。こうして1985年4月1日、神大は中学4学級、高校6学級[躍進 8]、前期・後期の2学期制[新聞 1]の中高一貫校として正式に開校した。この時は校歌が存在せず、年明けの1986年1月20日に校歌の作曲者である團伊玖磨を迎えて校歌発表会を開催した[躍進 9][校史 2]。 開校2年目(1986年)の6月17日、当時の理事長特命事項として、「男女共学問題検討」のため「共学問題検討会」を設置する[躍進 10]。この検討会の調査の末、9月8日に検討会は次の成案を提出した[躍進 10]。
この成案を基に、当時の法人の理事長と担当者の常務理事は神大生の父母や教員との懇談を繰り返し、男女共学への実現を見ることになった[躍進 10]。 開校4年目(1988年)の高校募集の停止に向けた縮小(実質的な廃止)やアール・アイ・エーの設計による3号館の竣工がされ[校史 1]、開校5年目(1988年)より男女共学への移行および高校募集の順次縮小(事実上の廃止への一環)、1989年より開始された情報教育 (詳細は「情報教育とICT機器」を参照) など、2021年現在の神大の体制が整っていくかのように見えた。 しかしながら、大澤は開校10年目(1994年)の発言の中で「全員が大学を希望する生徒であるが、神奈川大学への推薦枠には制限があり、さらに生徒の希望も、法学部、経済学部、経営学部、外国語学部に多く、理学部、工学部に少ないという偏りがある。したがって、生徒を希望の大学へ進学させるには、適切な進路指導もしなければならない。[躍進 8]」と述べている通り、当時の神大は進路指導がやや未完成であり、大学進学実績も芳しく無かった[注 9]。このような進学実績は横ばいのまま長期で続くこととなる。 1997年3月に入ると東京大学に現役浪人合わせて2名の合格者を出した[注 10]が、神奈川大学の推薦合格者数は43名(当時の卒業生は188名)であった[5]。年度が明けた同年9月より、学校祭の名称を神大のシンボルである「くすのき」から名前を取った「くすのき祭」に変更[校史 3]した。この名称の文化祭は2023年現在も引き継がれて使用している。 1998年2月16日をもって、横浜市の政策により学校周辺の台村町の一部地域が森の台に編入されたが、神大の所有地は全て台村町として存続することとなった[6]。同年では第一回ThinkQuest(現在のWebコンテスト)が開催され、その会の中学生・高校生の部で受賞された14チームの中2チームが神大中心のチームという実績を残し[tq 1]、その後も毎年この大会で何かしらの神大生のグループが受賞するようになるなど進学実績以外では好調な結果を残せるようになった。 なお、1998年10月18日には前年より校長として就任していた青柳昌宏が急死し、学校葬として同年10月30日に同校体育館にて「お別れの会」が挙行された[校史 2][7]ほか、追悼ページも作成、公開された[8]。 予備校並みのカリキュラムの追求と校舎等設備の再開発
神大にとって、21世紀を迎えて人口減少社会が本格化しようとしていた中では進学実績の向上が急務だった。まず、2002年の終わりに、神大の全教員で今後の神大のありかたにおける議論が行われた。その際に「MARCHレベル以上の大学へ60%以上の生徒が進学する学校にする」という方針を決定した[4]。 澤田敏志が校長として任命された2003年から先述の取り組みを開始し、2004年に学校を法律上併設型中高一貫教育校 (以下、併設型) に変更した。これは、併設型の制度で可能なカリキュラム編成の特例を法的に有効にするためであった。改革開始以降、神大は生徒が国公立大学に進学出来るための積極的な取り組みを行うようになる。そもそも、2002年に18期が入学してから数年の間、学習指導要領は所謂「ゆとり教育」の内容であった。神大はこの「ゆとり」への対応策の一つとして、生徒の英語・数学の学力向上と家庭学習の定着を促すべく、金曜日の1時限目に英語と数学でその週に学んだ基礎的な内容を確認する「週末テスト(WET)」というテストを設定した。このテストで一定水準に達していない生徒には、「わからないことを次の週に持ち込ませない」ということて翌日の土曜日午後に補習に原則参加することになっていた。この一環で2003年からは、「英語・数学の授業で生徒間の学力格差の拡大による成績下位の生徒の学習意欲低下を阻止する」という目的で、数学の成績が低いクラスは10名程度の少人数で授業を行うこととした[4]。 また、2004年に併設型へ移行したこと機に週6日制を採用する[9]。同時に、「高校生の全国的調査で、考えたことを文章にまとめる力が不足しているという結果が出た」ということで「自己表現の強化」を取り組みに追加し、重点目標とした[4]。 この期間でも、2004年11月19日に来たる開校20周年にあわせて校舎の再開発も実施された。具体的には「新講義棟[注 11]の建設」、「キャンパスアプローチの整備」、「中庭リニューアル」、「部室棟と更衣室の増改築」、「1号館正面玄関のリニューアル」、「1号館、3号館、新講義棟[注 11]へのエレベーターの設置」、「テニスコートの改修」であり、いずれも2004年10月までに工事,整備が完了している。[10] 開校30周年への躍進この頃から「0時限」、「特講」、「個人塾」[11]、「7時限」が始まった他、成績優秀者を対象とした強化型の「勉強合宿」が同法人の大学の富士見研究所で行われるなど学校単体で活発な動きがあったが、この内の「勉強合宿」は先述の方針を達成出来たことから2016年ごろに廃止されている[9]。 2008年からは医師の豊島勝昭を招いた「いのちの授業」を中学生向けに実施。この課外授業は2021年現在も継続して実施されている[12]。同年10月には「中期目標・中期計画」が策定され、主に人間性などの道徳的要素を重視した単語を用いて設定された[校史 2]。 2009年度入試では東京大学に2名の合格者を、2010年度では初めて東京工業大学に5名の合格者を[注 12]、2012年度と2014年度では東大に3名(何れも現役)の合格者を出し、後者の年から5年連続で東大合格者を出した。こうした難関大学への進学需要もあり、2011年度からは学校主催による筑波大学、東京工業大学、横浜国立大学、明治大学、早稲田大学等10大学の、翌年度からは上智大学、東京理科大学も加わった計12大学の大学説明会が開始された[校史 4]。 なお、2011年11月2日、2013年9月18日と2回ほどWebサイトのリニューアルを行っており、そのことを発表した [13]。 グローバル化と生徒のICT化そして学習塾との提携・両立へ
開校30周年を迎えた2014年11月19日には開校30周年を迎えたことから記念式典を実施した。この式典では来賓として正野幸延理事長 (当時)、元宇宙飛行士の山崎直子氏[校史 3]がいた[14]。 翌年の2015年には、2010年から生徒間交流が始まっていた[15]トクソ高校と神大初となる姉妹校交流を締結し、カランドラ・シティ・プライベート・スクールとは2017年から学校間交流を開始した。 2016年には生徒と教員が学校生活で日常的にコンピューターを活用出来るようにするために「2017年~2021年の生徒の一人一台タブレットPC必携ロードマップ」を完成させ、2017年に教員に先行導入し、全校生徒も順次タブレットPCを携帯するように整備を行うようになる。 2018年より海外協定⼤学推薦制度 (UPAA) を学校主体で導入し、欧米への大学進学をより容易なものにした[16][17]。 これらと並行して以下の目標を立てた。
先述の生徒個人レベルへのICTの普及は結果として、2020年4月~5月には先述の生徒用タブレットPCを自宅で使用したオンラインによる授業がスムーズに実施されるための運びとなった[新聞 4] 2018年には講義室1の改修工事を実施[18]。この教室は後に発生した事故が起きた際の記者会見場や、各種映像のための撮影に使用されている。 2020年3月には、同一法人の大学生の陸上部員を主に対象として人工トラックを用いたグラウンドのリニューアルが行われた[19]。なお、このリニューアルを機に、従来神大専用設備であったグラウンドは大学との共用になった。 2021年4月には新しい校長として同一法人の大学教授である中野宏一が着任した。この法人内からの所謂「天下り」による着任は神大において極めて稀なことである。同時に、三学期制や、学習指導要領への準拠に伴う月・火曜日の7時限授業制が採用された[20][新聞 1]。 ここまで2002年末から学校改革を開始し、一時は好調な進学実績を挙げていた神大であったが、2019年卒業生から東大合格者が2年続いて0人になったほか、2020年卒業生に関しては京大合格者が0人になった。また、2020年卒業生に関しては卒業生218名に対して同一法人の大学の合格者は68名(うち現役64名、推薦21名)、現役進学者は18名であり、卒業者における内部進学率は8.3%を計上するなど苦境を迎えることになる。 こうした中、2019年度より「卒業生チューター制度」が開始され[新聞 1][注 13]、生徒への卒業生からの直接的なサポートが開始された。さらに、2020年度より「神奈川大附属中高の生徒に、 東大合格のために最適な勉強法を提供し、『東大合格が当たり前』という文化を根付かせること」を主の目的とし、「スタディコーチ」と提携した「東大合格プロジェクト」を発足。6月に「東京大学オンライン説明会」が、10月にはマスコミが取材に来るなかで生徒を対象にした講演会が実施された[新聞 5]。このプロジェクトでは、月一回を基本として現役の講師との面談を通じて生徒の学習を支援していくとしている[新聞 5]。また、旧来から引き継がれていた入試についても再編がされ、帰国生入試日程を筆頭に実施日、配点、呼称が全て変更された[21]。 2021年3月には2年ぶりに東大合格者 (2名) を、1年ぶりに京大合格者 (1名) を出したため、名大以外の東京一工旧帝早慶の合格者が出たことになった。また、同一法人の大学の合格者は29名 (うち現役28名、推薦22名) と減少したが、内部進学率は6.9%であった。一方、2018年4月から着任していた菊池久が校長から何らかの形で辞職した[注 14]。 2022年3月には東京大に3名、一橋大に2名、東京工業大に6名(いずれも現役)の合格者を出した[新聞 6]。なお、この年では他にも京都大、阪大を除く全ての旧帝大に対して合格者を出した。 しかし、こうした進学実績を持っている一方で、神大での既存の対応をもってしても、神大では「自習スペースの確保」が課題となっていた。その原因として、高校2年生以降の学生の中で学習塾や予備校に通塾する理由に「自習スペースの確保」を挙げた割合が一定数あったからである。この課題を解決するため、2023年度より生徒の自主学習を支援する「放課後自習室学習支援プログラム」を始めた。このプログラムでは、部活動終了後、中1・中2生は午後7時まで、中3から高2の生徒は午後8時まで、高3生は午後9時まで学校で自習できることとし、そのブースも学年ごとに振り分けることで設置した。 また、TAと言う制度に関してもこれまでの物を引き継ぐ形で「コーチ制」に改正。卒業生を中心に、東大、東工大、早慶などさまざまな大学に通う大学生、大学院生をコーチとして20人余り登録している。自習スペースを中心に、生徒の質問や個別の進度や志望に応じた勉強の方針や計画と言った相談を行っている。[新聞 7] 情報教育とICT機器先述した教育方針について、この内の情報教育を1987年より入職した小林道夫が対応することになる。しかし、日本における情報教育について、1987年当時はICT教育を行っている学校が少なかったことから、小林は当時先行して情報教育に力を入れていた国立大の付属高校や研究会などを訪ねると言ったことをしながら勉強が続いた。[新聞 3]そして1989年にはDOS/V機を設置し[15]、神大でも情報教育を開始した。当初はタイピングや表計算、プログラミングを中心とした授業を展開していた[注 15]。しかし、小林はこうしたプログラミングやコーディングの学びに限界を感じ[新聞 3]、1994年にMacintosh LC 575を主体としたコンピューター教室を開設する[15][新聞 3]。Macintoshを用いる授業では、HyperCardを活用したグループ活動や課題をまとめて発表するアクティブラーニングに力を入れたほか、Adobe PhotoshopなどGUIが全面的に押し出されたソフトウェアも用いられた。これは、神大でのその後のICT教育を「問題解決のためのICT活用と表現」と言う方針に立てるものとなった。[新聞 3] 1996年にはインターネットの活用を前提とした「情報教育の基本方針」を策定した。この基本方針は、中・高6年間を通したカリキュラムの実施、Webページの作成と情報発信、コンピューターを表現の道具として創造性の開発と個性の発揮を目指すこと、国内外での共同研究などである。[新聞 3] 1998年には第一回全国中学高校Webコンテスト (旧ThinkQuest) が開催され、その会の中学生・高校生の部で受賞された14チームの中2チームが神大中心のチーム[tq 2][tq 3]という実績を残した[tq 1]。この大会での受賞はその後も続き[新聞 3]、2014年度、2017年度では韓国のe-ICON世界大会日本代表となっている。 1999年にはLC 575の老朽化もあり、iMacを導入(交換)した。当時、iMacは5色で発売されたため、神大は複数色での発注をおこなった。[22] 2010年にはキヤノンITソリューションズへの委託の上、約50台のiMacを刷新した[15]。こうした計算機の更新は専用教室のみならず、2013年には全教室にプロジェクター形式の電子黒板を完了した。さらに、同じ2010年より問題解決型学習の一環としてレゴ社のMINDSTORMSを用いたプログラミング教育を開始した。チームでセンサーロボットを作りプログラミングを行って競いながら成果発表をすると言うものである。さらに2012年からは、MINDSTORMSを用いた宇宙エレベーターロボット研究も始まった[新聞 3]。 これら以外の計算機の導入も続いており、2014年には、45台のiPad miniを納品[23]し、校舎内での施設の質の向上に努めた。 こうした学校教育でのデジタル化の動きは校舎内の備品にとどまらず、2016年には生徒と教員が学校生活で日常的にコンピューターを活用出来るようにするために「2017年~2021年の生徒の一人一台タブレットPC必携ロードマップ」を完成させる。2017年に教員に先行導入し、全校生徒も順次タブレットPCを携帯するように整備を行うようになる。 また、同時期の2016年度にはNTTレゾナント製の「ウェブでお知らせ」を導入。学校から保護者や生徒への、クラブ活動における顧問から部員への、教員間のメッセージ機能を用いた連絡などをスマホアプリを用いて一斉に行えるようになった[24]。 さらに、2017年10月10日にはWebサイトをリニューアルしたと発表した [25]。作成は株式会社Wave[26]。 そして遂に、2018年4月には当時の中学3年生の全生徒がタブレットPC (Surface Go[新聞 8][注 16])必携の授業を開始した。こうした学校から生徒個人レベルまでのICTの普及は、結果として、2020年4月~5月には先述の生徒用タブレットPCを自宅で使用したオンラインによる授業がスムーズに実施されるための運びとなった[新聞 4] 。最終的に2022年に全生徒の1人1台端末の活用を可能にした[新聞 8]。 2022年1月27日には、三谷商事 (一部リコージャパンと協業) に発注[22]し、Macルームに配置していたiMacを最新のものに取り替えるリニューアルを行ったことを発表した。今回のリニューアルでは半導体不足による導入遅延があったものの、1999年でのiMacの導入以来となる複数色の端末の導入を行った。[27] 年表
教育理念
建学の精神
6つの教育目標
5つの生きる力
設備![]() 校内に無線LANを整備している[新聞 9]。このうちルーターは10Gbpsモデルに対応した物を採用し、校内の至る所でインターネットを活用できるようにしている[新聞 9]。特に3号館の大講義室でも1学年200名の生徒が問題なく使えている状態であるとのこと[新聞 9]。 校舎1号館普段の授業はここで行われる。
![]() 2号館いわゆる「体育館」である。
3号館
4号館
なお、これら以外にも一部科目、教科の「準備室」、エレベーターの機械室、倉庫などの部屋が存在する。 [kusunoki 1] その他の施設
これら以外にも自然観察林(現在封鎖中)などがあり、すべてあわせると東京ドーム4つ分という広大な敷地を有する(1人あたり教室1個分の面積を有せるほどの広さ)。また、上記の大学設備は授業や部活等で中学・高校生が使用する場合がある。 クロスカントリーコースについては、2012年3月に神大の敷地を「中山キャンパス」として管理する法人の大学が主導となり作られたもので、既存の森林部を伐採したり、神大生が通行する箇所を横切るようにしたものであり、同一法人の大学の陸上競技部のみが使用できる[31]。 陸上グラウンドについては、神大専用の敷地として用いられていたものを「中山キャンパス」として管理する法人の大学が主導となって2020年3月にリニューアルを実施した[19]。これにより、この設備は大学との共用になっている。 学校生活クラス、学年での扱い2021年度より、創立初となる3学期制を導入した他、週に2回7校時目が設定されている[新聞 10]。また、2023年度より高校におけるショートホームルームを廃止している[新聞 11]。 中高共に1学年6クラス35 - 40人が基本である。1999年度(平成11年度)入学者までは5クラス40人が基本で、中学1・2年次のみ6クラスであった。ただし、入学者が多かった場合は例外的に学年を7クラスに分けることがある。また、2021年現在は高校募集を行っていないが、学年は6年までの通年で付番はせず、「中学〇年」、「高校〇年」という形で付番し、学級は中学校ではA、B、C、……、高等学校では1、2、3、……という形でクラス名が付与されている[kusunoki 2]。 教育面での扱い授業等を開始、終了する際は「姿勢を正して~」と教員ないしは代表の生徒が声かけを行って挨拶をすることが慣例となっている。 月曜日の1校時目では「ウィークリーテスト」と言う小テストが行われている[新聞 10]。 入学した生徒全員の学力確保や進学保障をするプログラムとして0限、7限講習、休業期間中の講習や学校独自の設定科目がある[32]。また、小テスト結果に応じた土曜補修も実施されている。 2019年頃より卒業生によるチューター(ティーチングアシスタント)制度が設定されており、神大卒業生のみからなるチューターによる指導が実施されている[校史 5][新聞 10]。 修学旅行が実施されていない代わりに「研修旅行」が設定されている[新聞 12]。 情報教育同校の校舎にはWindowsを搭載したPCとMacintoshの2種類のコンピュータルームがある他、2021年までに全校生徒が学校指定のノートPC(Surface Go[33])を保有することになっていた[3][34]が、実際に全校生徒が保有するようになったのは2022年のことだった[新聞 2]。 高校2年後期には4、5人のグループでウェブサイトの構築を1から行い、希望者で全国中学高校Webコンテスト(旧ThinkQuest)に参加するが、同校はこのコンテストにおける入賞常連校となっている[35]。また、2022年には同コンテストにおいて経済産業大臣賞、プラチナ賞を獲得している [36]。 他にも、宇宙エレベーターについて学ぶ授業があり、希望者の生徒はMINDSTORMSを用いて地上とステーションを昇降するロボットを作り、上昇出来る距離について成果を競う競技会に参加する[新聞 8]。 神大の大規模なICTの活用により、2020年4月~5月には先述の生徒用タブレットPCを自宅で使用したオンラインによる授業が実施された[新聞 4]。また、2022年現在は授業では基本的に教材は電子黒板に投影し、生徒はタブレットPCを活用している。また、担任などからの連絡事項の確認、出欠確認、課題の配布や提出、教材配信などの情報も、すべてタブレットPC上のアプリやクラウドを通して行うよう運用を変更した[新聞 8]。 制服制服には夏服と冬服の2種類が規定されている。 2025年度以降の制服2025年度に創立40周年を記念し、制服のリニューアルを実施した。 冬服はブレザーのエンブレムやボタンが新たなデザインとなり、更にネクタイのデザインもリニューアルされた。 一方、夏服は以前のようなシャツに加えて学校指定のポロシャツも着用できるようになった。[37] 2010年度以降の制服男女共に冬服として定められている黒色のブレザーと赤色のネクタイが特徴である。一方、夏服は、男女共に水色もしくは白色のネクタイなしのシャツである。男子のズボンと女子のスラックスは無地のグレーの物のみが存在するが、女子のスカートにはグレーの無地とチェック柄の2種類が存在する。なお、女子の靴下は学校からの指定品となっている。 2018年度の服飾規定の改定以降、女子のスラックスの着用及び冬期(1月~3月、10月~12月)前後での女子の市販のタイツの着用が認可されている。[38][39][40][41] 2010年度以前の制服2010年度以前[39][41]はそれ以降のものとは異なる制服が制定されていた。制服に用いる衣類の名称自体はそれ以降のものとは大差が無かったようであるが、平成10年(1998年)頃の女子制服はネクタイ以外に指定のリボンの着用も可能であった[新聞 12]。 部活動・同好会いわゆる「運動系」の部活を「運動部」、「文化系」の部活を「学芸部」という名称でくくられている。なお、男女及び中学高校といった分類は省略した。
その他、中学3年以上の生徒による1年単位での同好会の設立が認められており、ほぼ毎年軽音楽やダンス等の同好会が設立されている。 部活動・学生団体実績学生団体
部活動
生徒会機関・組織役員会は選挙によってえらばれた会長(1名)、中学・高校副会長(各1名)と会長が指名した庶務(若干名)と会計(若干名)で構成される。そして、代議員会及び各委員会は、各学級[注 17]から選出された2名[注 18]の委員によって構成される。
学校祭学校祭(くすのき祭)1997年から毎年「くすのき祭」という名称の学校祭[校史 1]が9月末から10月上旬の内の土日または体育の日とその前日に渡って2日間連続で開催されている。 1998年から2007年には「REVOLUTION10年計画」が実施され、毎年「Revolution」の綴りの一文字ずつに単語を割り当ててその年のくすのき祭のテーマとした。 2008年から2014年には「虹の7年計画」が実施され各年ごとに虹の7色からイメージカラーを定め、それを元にテーマを決めた[46]。また、くすのき祭の新たなスタートを「新たな航海の始まり」に見立て、毎年「船のオブジェ」を製作した。[kusunoki 3]なお、虹の色は紫から始まるが、最初の年にしては色が暗すぎるため、特例として青から始めた。 「虹の7年計画」が終わり次の計画を考える際に、「長期計画だと年度を重ねることで低学年の実行委員が運営に1から携われなくなる」等の意見が出たため、「0からのスタート」を合言葉に単年度計画の実施に至った[kusunoki 4]。 かつての文化祭1985年、1986年の第一回、第二回は「文化祭」という名称を、第三回から第十回までは「学校祭」という名称を用いていた。 また、当時は年毎の学校祭のスローガン等の設定は存在せず、生徒等関係者限定での開催や当日午前までを準備期間にするなど2019年ごろ迄のタイムテーブルとは異なっていた[躍進 1]。なお、第十一回、第十二回の時の名称や副題やスケジュールなどは全て不明。 体育大会
全日に渡って中学校ではその学年内部のクラス対抗で、高等学校ではほぼ全ての種目で学年かつクラス対抗で競技が実施される。しかし、午前にて球技の種目を、午後にて陸上競技の種目を行うよう全学年で統一がされている。ここで行われる球技は、中学校ではドッジボール(中1のみ)、キックベース(女子)、サッカー(男子)、バスケットボール、ソフトバレーボールであり、高校では、サッカー、バスケットボール(3on3)、バレーボール(ここまで全て男女別)、ソフトボール(男女混合)である。そして、陸上競技は、中学生では長縄と学級対抗リレーであり、高校生は騎馬戦(男子)と飛びつき綱引き(女子)、学年対抗リレーである。 以前は部活対抗リレー(各部活が部活着を着て、各部活で使用する小物またはボールをバトンにして行う)も行われていたが事実上廃止されている[注 19]。 合唱コンクール合唱コンクールは、毎年3月中頃にみなとみらいホールにて開催され[48][47][注 20]、合唱コンクール実行委員会を中心とした中学生のみで企画・運営される。このコンクールは、各学年ごとに、まず学年の課題曲を学年全員が中心となって歌い、その後各クラスごとにそれぞれ「自由曲」を一曲歌うような形をとっている。 第十回時点では「神奈川大学の講堂(注:現存しない)を借りて毎年12月に実施[49]」とされているが、その後の会場及び実施時期の変更の過程は不明。 掲示・出版物主に学内から中心に発行されるものを記述する。
学校運営神大では先述した教育改革もあり、学校運営が再編された。2022年現在、生徒やクラス間以外の場である教員会議の資料や議事録および採点関連の作業も原則電子化にて対応している。具体的には、授業支援クラウドシステムとしてLoiLo製のロイロノート、学習管理システムとしてClassi、オンライン学習サービスとしてスタディサプリを授業活用向けに採用。[新聞 20]事務作業用としてはMicrosoftのOfficeの中でも会議の議事録としてOneNote[新聞 20]、株式会社教育ソフトウェア製の採点アプリなどを採用している。こうしたソフトウェアの利用のための研修は頻繁に開催され、特に2018年からの3年間は年間5~8回ほど研修を行っていたと言う[新聞 20]。 2016年度にNTTレゾナント (当時。現NTTドコモ) 製の「ウェブでお知らせ」を導入。「メッセージ機能」による連絡網を介さない情報伝達や配布物配信、「欠席等届出機能」による電話応対の削減、「アンケート機能」による部活動の参加承諾書の廃止と言ったペーパーレス化や事務作業の軽減がされたと言う。[新聞 21]。 2022年12月現在、生徒と教員の情報端末は計1400台以上存在する[新聞 20]。ここでの機器の管理やトラブル対応、アプリのアップデートなどの問題による教員の負担と不安を減らすため、校内に専門の職員が常駐するICTサポートセンターが存在する[新聞 20]。 海外交流校2021年3月現在以下の2つの学校を「海外交流校」としている[50]。 上記2校は正式な海外交流校だが、2019年度からは後述の事情により、オーストラリアでのカランドラ・シティ・プライベート・スクールとの交流は行われていない。 著名な出身者特記なきは「神奈川大学附属中・高等学校」出身者。1989年までに高等学校のみ在籍した者は「高校〇期」と表現する。
校歌校内で定義されている曲は以上一曲のみであり、大学歌は応援歌含め一切用いない。 PTA・同窓会出典は緑会・緑萌会・くすのき会による。
いずれも大学関係の同窓会 (宮陵会) 等との関係を持たない。 合格実績・進学状況各年度における大学合格、進学状況は以下の通り。 2023年現在、国公立大学、私大(早慶、上智、理科大、GMARCH)への進学者の割合の公称値は60%~70%程度[58]とされる。 年度別推薦入学者数
年度別合格者数 (合計)
年度別合格者数 (現役生計)
年度別現役進学者数
事件・事故オーストラリアでの生徒死亡事故平成31年(2019年)3月29日、神奈川大学附属高等学校が実施していた海外交流プログラムに参加した人(1~2年生の男女15人及び引率教員2人)の内、高校1年生(3月時点)の男子生徒2人が豪州東部クイーンズランド州にあるフレーザー島内のマッケンジー湖にて行方不明となり、翌3月30日に現地警察による捜索の結果死亡が確認された[新聞 22][新聞 23]。神大はその日の午後に記者会見を開き、「ご家族、関係者の皆様におわび申し上げます」と謝罪し、「ツアーの場所として適切かどうか検討する」とした。また、同プログラムは今年で2回目で、昨年もこのプログラムで事故現場と同じ場所を訪れていた[新聞 24]。 また、令和2年(2020年)12月25日時点で現地検察より「安全配慮義務に違反したとして引率責任者だった同校[注 22]の男性教諭と、プログラムを手配した州内の日系旅行会社代表が現地で訴追された」ことが明らかになっている[新聞 25]。 交通
通学バス1988年(昭和63年)頃より2001年(平成13年)3月まで運行がされており、相鉄バス旭営業所(当時は相模鉄道旭営業所)が担当していた。運行は同校から中山駅までの復路のみであり、中山駅発はなかった。運行開始当初の本数は平日・土曜ともに5本/日だったが、後に運行形態が変更され、末期は2本/日 - 5本/日と日によって運行本数にばらつきが生じていた。運賃は100円で、事務室が作成した乗車券により乗車が出来た。また、そのバスの乗車場はくすのき前に設置されていた。しかし、徒歩で行ける距離であったことや周辺の道路事情の変化・女子生徒の優先乗車の規定などにより、利用者が伸び悩み2000年度をもって廃止された。ただし、その後も学校祭(くすのき祭)期間中に中山駅から神大を往復するシャトルバスが存在した[kusunoki 6]が第23回(2007年度)より運行を取り止めている[kusunoki 7][kusunoki 8]。 その他![]()
脚注注釈
出典
書籍『躍進の明日』
その他学校史
公式発表くすのき祭
合格実績・進学実績
全国中学高校Webコンテスト(旧 ThinkQuest JAPAN)
新聞記事
参考文献書籍
メディア
関連項目
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia