神田うの
神田 うの(かんだ うの、本名:西村 うの(旧姓:神田)、1975年3月28日 - )は、日本のタレント・ファッションデザイナー・ファッションモデル。夫は実業家の西村拓郎。 来歴生い立ち旧通産省の元技官(大分県出身、東京大学工学部卒業、東大大学院修了)の父の第一子として出生[注 1]。東京都目黒区に生まれる。本名である「うの」は、持統天皇の幼名「鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)」が由来であり[3]、幼いころはこの「ひめみこ」をとって両親や祖母から「ヒメ」と呼ばれて育つ。 父親の赴任に伴い、1歳のときにインドネシアのジャカルタに移住。4歳まで同地で過ごしたのち日本に帰国し、神奈川県横浜市栄区に居住した。 5歳のときにバレエをはじめる[4]。松山バレエ団に所属していた。 1985年に神奈川県川崎市中原区へ転居し、川崎市立木月小学校へ転入。その後、川崎市立住吉中学校、白鵬女子高等学校卒業。 モデルからタレントに子どものころから街を歩くたびに芸能事務所からスカウトされ続けるが、家族には芸能界入りを反対されていた。自身も芸能活動には関心がなかったが、ファッションが好きであったことからモデル事務所からのスカウトに関心を持つ。親を説得して14歳(1989年)でスペースクラフト・エンタテインメントに所属し[5]、モデルとしてのキャリアを始める。広告などのモデルを経て、17歳のときに雑誌『プチセブン』(小学館)のモデルとしてデビュー。 19歳から『学校では教えてくれないこと!!』や『笑っていいとも!』、『オールナイトフジ』、『タモリのSuperボキャブラ天国』などのバラエティー番組に出演。 タレントプロデューサーとして1999年、毛皮メーカーとのコラボレーションで「コスタ・モーダ・ウノ」ブランドを発表、その後サングラスブランド「U-NO」を発表し、現在ではストッキング・下着(Tuche' UK UNOKANDA トゥシェ・ユーケー)、和洋ウエディングドレス(Scena D'uno シェーナ・ドゥーノ)、ウェディングドレス(UNO et L‘ETOILE ウノ・エレトワール)、振袖(Scena D'uno Salala シェーナ・ドゥーノ サララ)、ジュエリー(DUNOA デュノア)、ゴールドジュエリー(Umpresse アンプレーゼ)、の自己ブランドのタレントプロデューサー[要出典]。 2005年春に南青山に豪邸(通称・パンスト御殿)を建てたことで話題になった[6]。 2008年5月29日、自身のブランド「UNO KANDA」を始める。パーティー・バッグ、ビジネス・バッグ、財布、パス・ケースを発表[要出典]。 2011年5月10日に妊娠5ヶ月であることをブログで発表し、妊娠中も自身の美意識に沿った生活を続け、マタニティードレスとしてデザインされた服ではなく、日頃から愛用しているブランドの服を着用。腹部を圧迫しないチュニックやワンピースを選んでいた。靴も普段から履き慣れているという理由からハイヒールを愛用した。妊娠9ヶ月に入ってからヌード写真を撮影(2011年10月26日発売・『an・an』に掲載)[要出典]。 2020年6月30日、スペースクラフト・エンタテインメントを退社[5]。 2021年11月1日、「AtelierUNO エイジレスナイトブラ」をプロデュース[要出典]。 人物20年間「嫌われ有名人ランキング」に入っており、若いころはバッシングへの対処に悩み、落ち込んでいた日々もあったが、次第にランキング自体を面白がれるようになり、気にならなくなったと話している[7]。 「趣味は結婚式」と公言しており、2007年10月明治神宮、2008年4月グアム、2008年7月ハワイ、2008年10月サイパン、2008年12月バリ島、2009年7月モルディブ、2010年3月ケアンズ、とこれまで7回の結婚式を挙げている。 2009年7月にモルディブで体験ダイビングを経験した事を契機に、10月にPADIのオープン・ウォーター・ダイバー、11月にはアドヴァンスド・オープン・ウォーター・ダイバーのライセンスを取得した。 2011年3月17日、東日本大震災の被災者に1000万円を寄付した[8]。 2016年6月放送の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)に出演し、自身のKY的な言動とその反省について語った[9]。 伊東美咲と親交があり、伊東からプレゼントされた電子レンジ用のシリコンスチーマーを愛用している[10]。 「芸能界イチのKY」を自認し、KYキャラ自体は仕事上のものではなく、素であったと話した[9]。KY的な言動による世間からのバッシングには、「私という人間を変えてまで世の中に合わせようとは思わない」としていたが、2012年から2014年にかけて、信頼していたベビーシッターから1300万円相当のバッグや貴金属を窃盗される事件が起こり、これについても世間から「自慢するな」とバッシングを受けたことをきっかけに「自分を変えなければいけない」と考えるようになったという[9]。番組の終盤では「必ず脱KYの母親になります」と宣言し、以下のKY改善のための5項目を紹介した[9]。
2020年、料理中に電気コードをくぐろうとしたところ、横にあった棚の角の金属部分に瞼を強打し流血、6針縫う大怪我を負った。「お岩さん」と自身が形容するほど腫れたが、「これが娘でなくて本当によかった」としている[11]。自身のYouTubeチャンネルに投稿した動画の中で怪我にいたる経緯を詳しく話している。 家族父親は元・通産官僚で京葉ガス顧問や高知工科大学客員教授を務めた神田淳。2人の弟がおり、長弟は漫才コンビ「ハマカーン」の神田伸一郎。夫は日拓グループ代表取締役社長の西村拓郎。西村とは、1998年11月5日、23歳のときに知り合い、約8年を経て結納を交わし、報道陣に億単位の婚約指輪(約5カラットのダイヤモンド)を披露した。2007年10月8日に挙式を行う。新婚旅行はドバイ。2011年10月22日、第一子女児を出産。なお、長女を出産後、3度の流産を経験している[12]。娘の教育には熱心であり、英才教育を数多く受けさせている[13]。 出演テレビドラマ
テレビ番組
ラジオ映画
CM・広告
PV作品シングル
受賞歴
書籍単著
写真集雑誌
クリエイターとしての活動履歴
脚注注釈出典
関連項目外部リンク |
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