神路信号場
神路信号場(かみじしんごうじょう)は、北海道中川郡中川町字神路にあった日本国有鉄道宗谷本線の信号場である。事務管理コードは▲121832[1]。 ![]() 歴史→神路地区が無住地となった経緯については「神路 (中川町)」を参照
北海道大学(以下、北大)演習林(現:北大中川研究林)の強い要望もあって木材搬出のために、当初は一般駅として設置された[2]。 所在した神路地区は、鉄道開通後もなお開拓農家のほか鉄道職員が住むのみの集落であったが、1963年(昭和38年)12月に、駅側の集落と対岸の国道40号を結ぶ神路大橋が落橋したことを動機に住民全員が撤退をはじめ[2]、1967年(昭和42年)に最後の農家が撤退[2]、鉄道官舎も消滅し[2]、1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』で「駅周辺には人家が一軒もないところ[3]」と紹介される状況にあった。 こうした状況から当駅も1977年(昭和52年)5月25日に宗谷本線営業体制近代化実施に合わせて、正規の駅から信号場となり[4]、便宜的に仮乗降場として1日1往復のみ客扱いを実施した。そして1985年(昭和60年)3月14日に廃止された。 年表
駅名の由来→「神路 (中川町)」も参照
当駅対岸の連山の最も高い山(現在の神居山、カムイル山とも)はアイヌ語で、「カムイルエサニ(kamuy-ru-e-san-i)」(カムイ〔神〕の・坂路が・そこから・浜〔=川端〕に出る・所)と呼ばれていた[10][11][12]。 ここでいう「カムイ」は「キムンカムイ〔kim-un-kamuy〕」(山・いる・カムイ、=熊)や、落石などが多い通行の難所で人間に危害を与えるカムイであることが多いが、ここのアイヌの伝承には、天塩川を通行する丸木舟に岩を投げつけるカムイがいる、という話がある[13]。 構造相対式2面2線を持つ地上駅であった。現在の本線は当時の2番線に沿っている。 利用状況乗車人員の推移は以下の通り。1日乗降人員については元データを期間日数で割って算出した参考値を括弧書きで示す。
周辺→「神路 (中川町)」も参照
前述の神路大橋落橋後も対岸に渡る橋は架橋されなかったため、駅跡地への到達は非常に困難となっている。 隣の駅脚注
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