秋田県立横手高等学校
秋田県立横手高等学校(あきたけんりつ よこてこうとうがっこう,英: Akita Prefectural Yokote High School)は、秋田県横手市睦成にある県立高等学校。略称は「横高(おうこう)」。 概要横手高等学校は、1898年に開校した旧制中学校(第三尋常中学校)を前身とし[1]、第三中学校を経て、1948年の学制改革により新制高等学校が発足した際には横手美入野(みいりの)高等学校となり[2]、1955年に現在の横手高等学校の名称となった。 2020年10月より新校舎の整備に着工し、2022年5月にグラウンドだった位置に管理校舎棟が竣工[3]、同年10月より既存校舎の撤去に着工した[4]。新校舎整備の竣工は2025年の予定[5]。 沿革略歴1891年に中学校令の一部が改正され、尋常中学校の設置条件が緩和された。これまでは一府県一校設置の原則であったが、土地の状況により複数の尋常中学校の設置が許可された[6]。当時、県内には秋田縣第一尋常中學校(現・秋田県立秋田高等学校)の一校が設置されていた。1897年7月、秋田県教育会にて伊藤源之助(平鹿郡教育会)が尋常中学校2校の増設を建議した[6]。同年8月には秋田県教育会より建議書が提出され、翌月の臨時県会にて採択された[1]。 1897年11月の通常県会にて、大館(県北)・横手(県南)の尋常高等小学校の設置が審議されたが、候補地として横手町のほかに六郷町や大曲町が挙げられた[1]。最終的に、仙北・平鹿郡の境目付近にある平鹿郡朝倉村(1933年横手町へ編入)に決定した[1]。 1898年に文部省に認可され、「秋田縣第三尋常中學校」として開校した後、翌年である1899年4月1日に「秋田縣第三中學校」と改称[7][8]。開校式は1899年5月16日に挙行されており[7]、この日が開校記念日として定められている[7][8]。また、同時に秋田縣第二尋常中學校(現・秋田県立大館鳳鳴高等学校)が開校している。 開校後、1901年7月23日に「秋田縣立横手中學校」と改称した[7][9]。 戦後である1947年に学校教育法が施行され、旧制中学校に代わる新制高等学校が発足、秋田縣立横手中學校は「秋田県立横手美入野高等学校」と改称した[2]。当時の横手市内では、横手美入野の他に横手城南と横手工業(後の横手清陵学院高等学校)が新制高等学校として発足した[2]。 1951年4月1日に男女共学化[2]。1955年には「秋田県立横手高等学校」と現校名に改めた[10]。 年表以下、注釈の無い項目は学校の公式サイトの情報によるもの[8]。 (全日制)
(定時制) ![]()
教育課程(全日制)
(定時制)
部活動
ギャラリー著名な関係者卒業生→「Category:秋田県立横手高等学校出身の人物」も参照
教職員脚注
参考文献
関連項目外部リンク |
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