稲田祐介
稲田 祐介(いなだ ゆうすけ、1977年8月2日 - )は、兵庫県出身のフットサル選手。ポジションはピヴォ。 経歴サッカー選手としてはルネス学園金沢サッカークラブやトヨタ蹴球団でプレーし、1997年には第52回国民体育大会(なみはや国体)に出場した。 地域リーグ時代2001年の第6回全日本フットサル選手権大会では、1977年生まれの選手を中心に構成されたBorn’77(東海地区・愛知県)の一員として出場し、同学年の金山友紀や三輪修也らとともにプレーして3位となった[1]。2002年にはスエルテBANFF(東海地区)の一員として第7回全日本選手権に出場し、同年にCASCAVEL TOKYO(現ASVペスカドーラ町田)に移籍。2007年3月のFUTSAL地域チャンピオンズリーグを最後に現役引退する予定だったが、2007年夏のFリーグ開幕に合わせてバルドラール浦安フットボールサラに移籍した。 FリーグFリーグ初年度の2007-08シーズンは20試合に出場して17得点し、バルドラール浦安は名古屋オーシャンズに次ぐ2位となった。2008年の全日本選手権では優勝し、得点王と最優秀選手にも選ばれた。2008年9月には大会前に負傷した高橋健介に代わってブラジルワールドカップに招集された。2008-09シーズンにはFリーグ得点王とベスト5をダブル受賞[2]。このシーズンのバルドラール浦安からは優勝した名古屋オーシャンズを差し置いて3人(稲田、川原永光、小宮山友祐)がベスト5に選出された[2]。2010年4月にバルドラール浦安を退団し[3]、 キャリア晩年2011年5月には北信越フットサルリーグのビークスキムラフットサルクラブ(現:ヴィンセドール白山)に移籍[4]。2012年には関東フットサルリーグのファイルフォックス府中に加入。2012年シーズン第2節のカフリンガ東久留米戦でデビューし、いきなりパワープレー時のゴレイロ役という難題をこなした[5]。 2013年5月には関東リーグのカフリンガ東久留米に移籍。2015年には東京都オープンリーグ(東京都4部)の闘魂に移籍。闘魂は「フットサル界のセルジオ越後」こと難波田治(ファイルフォックスで4度全日本選手権優勝、元日本代表)が立ちあげたクラブであり、元Fリーガーや元ファイルフォックスの選手が数多く在籍している[6]。 所属クラブ選手
指導者
タイトル
代表歴
個人成績
脚注
外部リンク
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