立教大学大学院観光学研究科・観光学部立教大学観光学部(りっきょうだいがくかんこうがくぶ)は、立教大学が設置する観光学部。立教大学大学院観光学研究科(りっきょうだいがくだいがくいんかんこうがくけんきゅうか)は、観光学を教育・研究する立教大学の大学院観光学研究科。 概要立教大学観光学部は、観光学科、交流文化学科の2学科からなり、埼玉県新座市に本部が置かれている。観光学部は1998年に新設された、立教大学の中では比較的新しい学部であるが、1967年に社会学部の中に新設された観光学科を前身としている。 立教大学においては、観光学部や社会学部観光学科が設置される以前から、観光教育に取り組んでおり、その歴史は立教大学の前身の一つである立教学校に遡り、学校創成期から続く教育の伝統を受け継ぐ。明治期に立教学校初代校長のジェームズ・ガーディナーは、現存する日本最古のリゾートホテルである「日光金谷ホテル」の経営者、金谷善一郎に、日光を訪れる外国人向けに本格的なホテルが必要となることを助言し、善一郎の長男、金谷眞一はガーディナーが教える東京・築地の立教学校に1892年(明治25年)に入学し英学を学んだ。金谷眞一は金谷ホテルを改革し、名門ホテルとしての礎を築き、日光は外国人向け観光地、避暑地として名を馳せることとなった[1]。 ![]() 1944年(昭和19年)に山口正造は亡くなるが、戦後まもなく「正造記念育英会事業」が始まり、1946年(昭和21年)に、正造の遺族と日本ホテル協会の担当者が立教大学を訪ね、正造の遺志を継いで、母校の立教大学でホテル関係の人材育成活を続けてほしいとする申し出を行う。こうして1946年(昭和21年)に戦後復興で再建を進める大学に開設されたのが「ホテル講座」である[4][5]。同講座は当初、全米で名門として知られるコーネル大学のホテル経営学校をモデルとしたホテル経営業務を主としたカリキュラムであった。1954年(昭和29年)には、コーネル大学講師が授業を受け持ち、慶應義塾大学も学生を本講座に派遣し学ばせていた[6][7]。1966年、社会学部産業関係学科にホテル・観光コースが設置され、1967年には観光学科として独立し、日本初の4年制観光教育・研究機関となる。この観光学科は、立教大学教授であった野田一夫が設立に尽力し、初代学科長を務めた。1998年に、社会学部観光学科は観光学部として独立し、日本初の観光学部となった。初代学部長には学部の創設に尽力した岡本伸之が就いた。2006年に立教大学において大規模な学部・学科の改組が行われた際に、交流文化学科を設置した。 観光学部は観光ビジネスや地域振興を創出する人材の育成を目的とし、学部独自のインターンシッププログラムも充実している。2018年には、グローバル化の中で台湾の高級ホテル「リージェント タイペイ」と6か月間の長期インターンシッププログラムを設置したほか、アメリカフロリダ州のディズニーワールドでインターンシップ(半年間)を経験しながら、週1日セントラルフロリダ大学ホスピタリティ経営学部で学ぶ海外プログラムなどもある[注釈 1][9]。 2021年には金沢大学と観光産業分野の中核人材育成のため、連携・協力に関する協定を締結した。地域活性化の一環で、武蔵野銀行との産学連携により、まち歩きマップ「ぶらってシリーズ」の制作なども行っている[10]。名門コーネル大学のホテル経営学部と同様に、卒業生には老舗ホテルや旅館の経営者も多い。 沿革
学部・学科
大学院
組織主な教職員(五十音順)
著名な出身者→「立教大学の人物一覧」を参照
避暑地リゾートと立教
日光を生涯にわたって愛したジェームズ・ガーディナー(立教学校初代校長)をはじめ、聖公会神学院の前身の一つである聖教社神学校を設立したアレクサンダー・クロフト・ショーは、軽井沢に教会(軽井沢ショー記念礼拝堂)を設立し、地域を有名にしたことから「軽井沢の父」と呼ばれ親しまれている[12]。また、立教大学教授を務めたポール・ラッシュは、清里を開拓し、キープ協会を創設した。彼ら、立教大学ゆかりの人物たちによって、日本の避暑地リゾートが開拓されている。 関連項目外部リンク脚注注釈出典
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