箭ノ根ヶ原遺跡![]() 箭ノ根ヶ原遺跡(やのねがはらいせき)は、埼玉県入間市三ツ木台222番地ほか(旧・入間市大字西三ツ木字金子山241)付近に所在する縄文時代中期を中心とする集落遺跡。 概要JR八高線金子駅の東方約1キロメートルの台地上に立地している。遺跡の北側には霞川が東流し、また南側には木蓮寺地区を谷頭(こくとう/やとう/たにがしら)[注釈 1]とする細長く浅い谷戸に画されて、東西に広がる台地上にある。 現地の標高は148メートル前後で、遺跡の東側、上谷ケ貫地区では標高が下がり、霞川の沖積面(ちゅうせきめん)[注釈 2]と同レベルとなり、本遺跡の東限となっている。遺跡の規模は東西250メートル×南北100メートルで、発掘調査を実施した主要部分は遺跡の西部にあたる[1]。遺跡名となっている小字名の「箭ノ根」は付近一帯で土器片や石器と共に、多くの石鏃(矢ノ根)が散布していることに由来するといわれている[2]。 発掘調査史発掘調査は大きく2回行われている。 第1次調査最初は1952年(昭和27年)夏に、小泉功、大護八郎、和島誠一、長沢五郎らによって行われた。調査のきっかけは、同年春に金子村立中学校教諭であった長沢五郎からの「金子村から縄文時代中期土器出土」の報が小泉功らに届いたことによる。彼らは発掘調査に先立ち、6月20日に旧避病院の北西側をボーリング調査し、3地点で焼土跡を確認している。そして7月27日・28日に発掘調査が実施され、縄文時代中期の竪穴建物跡1軒が検出された[2]。 第2次調査その次の調査は、入間市金子地区にて土地区画整理事業が予定され、遺跡が存在する西三ツ木の予定区域内に所在する埋蔵文化財の記録保存調査が必要となったことが契機である。以下に発掘調査の経過について記す[3]。
検出遺構と遺物発掘調査が終了した第1~第3調査区からは縄文時代中期の竪穴建物7軒、土壙13基が発見され、そこから縄文土器や石器が出土している[4]。
遺跡の現状本遺跡は縄文時代中期の集落跡を中心とした周知の埋蔵文化財包蔵地である[5]。したがって遺跡は埋没しているか、開発地域部分は調査後に破壊されていることがあり、遺跡そのものを見ることはできないが、みつぎ台公園(入間市三ツ木台222番地)に遺跡の説明板があり、ここに遺跡があることを確認することができる。以下に説明板の文面を紹介する。
ギャラリー
脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク
座標: 北緯35度48分50.5秒 東経139度20分12.6秒 / 北緯35.814028度 東経139.336833度 |
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