群馬県立桐生高等学校
群馬県立桐生高等学校(ぐんまけんりつ きりゅうこうとうがっこう)は、群馬県桐生市美原町にある公立高等学校である。 歴史明治から大正にかけて、県内他市において前橋中学の分校が設立される中、織物の街桐生においては中学ではなく桐生高等染織学校(現・群馬大学工学部)が設立された。従って、桐生の学生達は近隣の太田や佐野、前橋の中学に通うことになり、下宿生活を余儀なくされていた。これを憂えた桐生町民が有志を集めて中学設立に奔走。1917年(大正6年)3月12日に町立桐生中学校として創立された。旧制中学校として「町立」の形式をとっていた学校は、全国においても数えるほどしかない。設立4年目の1921年(大正10年)には県に移管され、1948年(昭和23年)に現在の名称である群馬県立桐生高等学校となった。 開校以来男子校であったが、1998年から男女共学の理数科を設置した。 2021年4月から桐生女子高等学校と統合し、新たな桐生高等学校(共学校)として開校[1]。 制服は男子校時代から引き継がれており、金ボタン5個の黒詰襟学生服(標準学生服)。2021年4月からの女子制服は桐生女子高等学校の制服のデザインを受け継いだセーラー服。 校歌は2021年4月より谷川俊太郎作詞・谷川賢作作曲のものが新たに制定された。 校章は2021年4月より両校の校章のデザインを受け継ぎ、新たなものが制定された。 校訓は2021年11月より、両校の校訓を受け継ぎ、「獨立自尊」「自主自立」「向学共励」の3つと定められた。 年表旧・群馬県立桐生高等学校
新・群馬県立桐生高等学校
学科
学校生活JR・わたらせ渓谷鐵道桐生駅から徒歩5分、上毛電鉄西桐生駅から徒歩10分と交通機関が利用しやすい立地にある。東武鉄道新桐生駅・相老駅からは、市内循環バスである「おりひめバス」を利用することになる。みどり市、太田市薮塚本町地区からは、自転車通学をする生徒も多い。 周辺には桐生市立図書館や新川公園があり、閑静な環境である。 現在、各生徒の進路実現のため、夏期休業中の補習や土曜日に補習や模試、朝補習、進路指導の強化や大学見学・講義なども行っている。また、修学旅行の日程の中に現地の大学・企業見学が内容として組み込まれている。こういった改革や積極的な受験指導により、大学合格実績は国公立大学合格者数・難関私大合格者数とも増加している。後述する群馬大学との関わりもあるため、群馬大学へ進学する生徒も毎年多くみられる。 また、「探究」という授業も行われており、生徒はそれぞれの関心のある分野を決めた後自分達で研究テーマを設定し、教員の指導を受けながら論文の作成を目指す。 平成10年に新たに設けられた理数科は、「物づくり」の伝統を持つ桐生という土地柄と地元に群馬大学工学部があるという好条件を活かし、他にはない教育を目指している。特に4月には「理数科オリエンテーション」が行われ、自然科学への興味を深める講義、 コンピュータの基礎を学ぶ学習などが行われるほか、サイエンス合宿などのカリキュラムが組まれている。その他にも、英語でのプレゼンテーション授業なども行い、世界に通用する人材の教育をはかっている。ロケット製作・実験の分野での活動が近年評価され、第5回種子島ロケットコンテストに唯一の高校生チームとして出場した。また、缶サットと呼ばれる衛星の小型モデルのようなものの製作を毎年行っており、宇宙甲子園などで様々な成果を残している。 行事は、体育祭と文化祭が一年交代で交互に行われるほか、修学旅行や球技大会、理数科1年生が参加する筑波研修、予餞会などがある。体育祭は「水桜杯(すいおうはい)争奪大運動会」、文化祭は「紫鈴祭(しりんさい)」と呼ばれそれぞれの後夜祭では在校生のみ参加できる「火文字」という火で文字を表す行事が行われている。 部活動等
硬式野球部の戦績同校は戦前から戦後にかけて、北関東の高校野球界を牽引する存在であった。以下において甲子園大会での戦績のみ記載する。
著名な出身者学術・研究
政治行政・法曹経済芸術・文化
スポーツ
芸能関連項目脚注
外部リンク |
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