荒張裕司
荒張 裕司(あらはり ゆうじ、1989年4月24日 - )は、大阪府高石市出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手、二塁手)。右投右打。 経歴プロ入り前高石市立高南中学校時代は、高石リトルシニアに在籍[1]。日本航空第二高を経て、愛知学院大学に進学するも中退。 その後、2008年7月20日に四国・九州アイランドリーグの徳島インディゴソックスに入団した。アイランドリーグ入りは、高校の先輩に当たる角中勝也からの勧めだったという[2]。2年目の2009年には正捕手に定着し、打率.301を記録。リーグベストナイン(捕手部門)を獲得した。 2009年10月29日のプロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから6位で指名を受け、11月9日に仮契約した。 日本ハム時代2010年は、二軍で打率.296、1本塁打を記録。 2011年は打率.196、0本塁打と不振に終わる。同年10月8日に行なわれたファーム日本選手権では、故障者が続出するチームで二塁手として先発した[3]。2013年には二軍で大谷翔平と3試合バッテリーを組み、その時の経験について「ストレートでも角度がついて低めに来て、あまり高めに浮かない。フォークボールも150キロ台なので、受け損なうとキャッチャーが怪我します。」と10年後に述べている[4]。 2016年10月30日、記者会見で今季限りの引退を表明するとともに、東京消防庁の採用試験を受ける意向であることを明らかにした[5]。12月2日、自由契約公示された[6]。志願理由について、リトルリーグ時代の先輩で消防士になった人物がいたことや、「人から頼られる職業に就きたい」という思いがあることを述べている[7]。 引退後2017年に志望していた東京消防庁に合格した[8]。2019年2月2日放映の「スーパーJチャンネル」(テレビ朝日)では消防士の訓練生となっている姿が紹介され、消防士に進んだ理由の一つに癌で死去した母親の存在を挙げた[9]。2023年時点では大井消防署に勤務している[4]。 選手としての特徴・人物遠投110メートルの力強いスローイングが武器。 祖父に元近鉄バファローの大石雅昭がおり、徳島時代の背番号28は祖父の現役時代と同じであった[2]。 詳細情報年度別打撃成績
独立リーグでの打撃成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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