荷席稲荷神社
荷席稲荷神社(かせきいなりじんじゃ)は、岐阜県海津市平田町三郷にある稲荷神社である。 概要この地は、洪水による水害が絶えず、かって所在した仏師川村、今尾町、三郷村、西島村の村境に、土を大人の背丈の2倍ほどに盛り上げ助命壇という避難所が所在した。 ![]() この森に、早川氏一族並びに地域社会全般の守護神として、早川氏が京都の伏見稲荷大社から分霊を勧請したのが、始まりと伝えられている[1]。農地解放により、神社の現在地に所在した多くの米蔵は、各村々に曳家されて更地になった。そこに小高い丘を造営した上で、遷座され、今日に至る。 歴史早川氏は、第59代宇多天皇(887年-890年)、第58代光孝天皇第三子に源を発し、佐々木源氏をして近江の栄え、佐々木氏信が、早川但馬守となり、早川を名乗った[1]。 九代目の孫早川兼明左近が、1555年(弘治元年)小尻村新田開発の為、地頭として、この地にきた[1]。 なお、農地解放で早川氏の所有地は、早川家住宅だけとなった。明け渡された助命壇は、耕地整理までは、毎年耕作者が入れ替わる入会農地となった。 神社の所在した助命壇は、昭和30年代前半の高須輪中の大耕地整理により、消滅して水田となった。耕地整理は、大江村地区(海津町)の大部分を占める池々を水田に干拓するものだった。そのために、農繁期に上流部の田畑から、また、水路も何倍も拡幅し、背丈ほど深く掘り下げるなど、埋め立てに必要な土を確保して、トロッコ列車で運ぶ大規模な事業であった、 御神徳遠近より参拝する崇敬者は霊験あらたかにして家内安全、五穀隆盛、家業繁栄、学問成熟の御神徳にあづかりえたのは、御祭神の広大無辺の御神威の尊きに因るものである。[1]。 境内
立地所在地早川家住宅に隣接し、その東に所在する。
周辺の施設等
交通アクセス
:無料駐車場(20台)あり その他町内を始め近郷の崇敬者から多大な寄進を得て、整備をされている神社である。桜と千本鳥居でインスタ映えすると、立ち寄られる。 脚注
関連項目外部リンク
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