藤原実季
藤原 実季(ふじわら の さねすえ)は、平安時代後期の公卿。藤原北家閑院流、権中納言・藤原公成の次男。官位は正二位・大納言、贈正一位・太政大臣。白河天皇の外伯父、鳥羽天皇の外祖父。後閑院贈太政大臣と呼ばれた。 経歴後冷泉朝初頭の永承元年(1046年)に叙爵し、永承6年(1051年)侍従に任官。康平4年(1061年)左近衛少将に任ぜられるが、当時の閑院流は藤原氏嫡流からは大きく外れており、28歳で参議として公卿となっていた父の公成に対し、30歳にして位階は正五位下と実季の昇進は遅々として進まなかった。治暦2年(1066年)には従四位下に昇叙されるも、近衛少将を解かれてしまっている。 しかしながら、妹の茂子が権大納言・藤原能信の養女として皇太子・尊仁親王の妃になり、第一皇子の貞仁親王を始め一男四女を産んでいたことで、実季は尊仁親王の信任を得ていた。治暦4年(1068年)に尊仁親王が即位(後三条天皇)すると、実季は同年に従四位上、延久元年(1069年)蔵人頭兼左近衛中将と、天皇の近臣として急速に昇進し、延久4年(1072年)参議に任ぜられ一躍公卿の仲間入りを果たした。議政官の傍らで、兵衛督・検非違使別当などの武官を兼帯している。 延久4年(1072年)貞仁親王が即位(白河天皇)すると実季は実の外伯父として天皇の信任を得て、延久5年(1073年)に従三位、延久6年(1074年)11月に大嘗会の悠紀国司として正三位に叙せられると、同年12月には上位参議5名(藤原基長・藤原良基・源経信・藤原宗俊・藤原伊房)をごぼう抜きして権中納言に任官。さらに、承保2年(1075年)正月に従二位、12月に正二位と続けて昇叙されるなど目覚ましい昇進を果たした。 承暦4年(1080年)権大納言に任ぜられるとともに、春宮・実仁親王の春宮大夫を兼ね、永保3年(1083年)大納言に至る。 寛治5年(1092年)12月24日薨去。享年58。没後、娘の藤原苡子が堀河天皇に入内し鳥羽天皇の生母となったことにより、天皇の外祖父として正一位・太政大臣を追贈されている。 官歴『公卿補任』による。
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