谷原秀人
谷原 秀人(たにはら ひでと、1978年11月16日 - )は、広島県尾道市出身のプロゴルファー[1]。これまでに日本ゴルフツアーで通算18勝(うちメジャー3勝、2023年6月25日現在)。178 cm、77 kg。妻は元ココナッツ娘。のメンバーで、女優の長手絢香。国際スポーツ振興協会所属。マネジメントはエイベックス・スポーツ。 人物12歳からゴルフを始める。渡米前の今田竜二と同じゴルフ練習場で打ち込んだ。田中秀道、山本圭一らは、瀬戸内高等学校ゴルフ部の先輩にあたる。その後東北福祉大学に進学し、1年生からレギュラーとなり中国アマゴルフ三連覇。また1998年バンコクアジア大会では団体金メダル獲得に貢献した。大学卒業後、2001年にプロ入りする。3年目の2003年6月、マンダムルシードよみうりオープンで日本ゴルフツアー初優勝。同年、全英オープン(予選落ち)、アメリカPGAツアーの「クオリファイイング・トーナメント」(シード権獲得への資格試験)も初体験した。この年の暮れ、2004年度の開幕戦となったアジア・ジャパン沖縄オープンで2勝目を挙げた。その後青木功のキャディーなども経験、青木からは「ヒデ」と呼ばれ「俺の若い頃そっくり、1つ2つ落としても"関係ねえ"って顔してる」とコメントされている。 2004年末に2度目の挑戦でPGAツアーの「クオリファイイング・トーナメント」に合格し、2005年にPGAツアーのシード権を獲得したが、腱鞘炎に悩まされ、出場20大会中14大会で予選落ちに終わったため、シーズン終了を待たずに9月の途中で日本へ帰国した。全英の裏開催になるBCオープン31位が最高位で、1年で稼いだ賞金は6万ドル(約700万円)だった。それまで練習嫌いで有名だったが、猛練習に打ち込み2006年6月、JCBクラシック仙台で日本ツアー3勝目、20代では最多勝利となった。優勝インタビューで「ぼくの時代が来ました」と豪語。 2006年の全英オープンでは、3日目に66の好スコアを出し、首位のタイガー・ウッズに3打差の7位タイに浮上した。最終日には2番のバーディーで一時3位に浮上し、ウッズ、セルヒオ・ガルシア、アーニー・エルスら世界の名手が並ぶ上位に“TANIHARA”の文字を掲げ、海外メディアから「TANIHARAって誰だ?」と問い合わせが殺到した。6番で痛恨のダブルボギーをたたき9位に後退したものの、その後は挽回し最終的に5位タイと健闘した。二桁のアンダーパーは日本人メジャー史上初。獲得賞金17万ポンド(約3400万円)は日本の賞金ランクにも加算される。全英オープンからの帰国後、サン・クロレラクラシックでも優勝し、年間2勝目を挙げる。全米プロゴルフ選手権にも出場した(4オーバーパー=292ストローク、55位タイ)。 2007年、前半戦こそスイングの改造が思うように功を奏せず、予選落ちや失格などで結果が残せないでいたが、6月開催の~全英への道~ ミズノオープンよみうりクラシック付近から徐々に効果が現れ始め、8月末フジサンケイクラシックで優勝、続くサントリーオープンでも優勝し、2週連続優勝という自身初の快挙を成し遂げる。ただしこの2試合は共に台風による54ホール短縮競技となっており、「2週連続短縮競技優勝」という珍妙な記録も同時に達成。谷口徹・片山晋呉には及ばなかったものの賞金ランキング4位でシーズン終了。 2008年、2月に用具契約をブリヂストンスポーツからプロギア(横浜ゴム)に変更。7月15日、元ココナッツ娘。のメンバーで女優の長手絢香との結婚を発表。 2010年、KBCオーガスタゴルフトーナメントで優勝し、ツアー通算9勝目を挙げた。 バラエティ番組で知り合った石橋貴明と仲が良く、石橋は谷原をゴルフの師匠と呼んでいる[2]。 2011年、マネジメント契約先の所属事務所をフォロースルーからトライストーンスポーツへ移籍。その後、エイベックス・スポーツへ移籍。 2014年、プロギア(横浜ゴム)から本間ゴルフにクラブ契約を変更。ユーラシアカップに出場。 2017年には世界ゴルフ選手権の一戦であるデルテクノロジーズ・マッチプレーでベスト4進出を果たす[3]。5月のBMW PGA選手権では3位タイに入った。 2018年は、欧州ツアーを主戦場にし、「KLMオープン」3位などトップ10に5試合入ってシードを守った。 2019年も、欧州ツアーを主戦場にしたが、「アンダルシアマスターズ」での8位タイが最高位で、トップ10入りはこの1回となり、2020年は日本ツアーを主戦場とすることを公表している。 2021年、三井住友VISA太平洋マスターズで優勝し、ツアー通算15勝目、日本復帰後初勝利を挙げた。また、ゴルフ日本シリーズJTカップでは自身2度目となるメジャー勝利を挙げた。 2022年、1月にジャパンゴルフツアー選手会の会長に就任。ゴルフ日本シリーズJTカップでは大会連覇のツアー通算17勝目を挙げた。また、LIVゴルフの招待を受け、5試合に出場した。 優勝歴日本ツアー (18)
脚注・出典
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