軍種対立
![]() 軍種対立(ぐんしゅたいりつ、英語:interservice rivalry、インターサービス・ライバルリー)は、軍種間の予算や権益、リソースの確保や防衛戦略に係る対立を指す言葉である[1]。インテリジェンス機関や警察機関、消防機関等でも使われる場合がある[2]。軍種間対立(ぐんしゅかんたいりつ)、軍種間競争(ぐんしゅかんきょうそう)とも。 軍種対立は、軍事予算の配分や軍隊の威信、特定の種類の装備品の所有などをめぐって発生する。 後者の場合、たとえば、海軍による航空母艦の運用は、空軍が代々担ってきた責務を侵害するとみなされることがある。 ケース日本
大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍の間の長期的な不和は、軍種対立の最も悪名高い例の1つである。明治時代にさかのぼるこの状況は、地政学的および軍事的影響の両方を伴って、日本の第二次世界大戦へ導く。IJA / IJNの対立は1930年代初頭に「北進論」と「南進論」の派閥として表われてくる。両派閥の目標は原材の確保、特に石油を所有する領土を占領することで、日本はその成長と経済を維持するために必要としていたが、それ自体を所有していなかった。北派は満州を経由してシベリアの天然資源を奪取することを提唱。これは陸軍が主要な役割を担うシナリオでもあった。南派は、石油が豊富なオランダ領東インドを奪取することを提唱。海軍が優勢になるシナリオである。 自身の派閥を促するために若い将校らは政府とライバル派閥のメンバーや支持者の暗殺に訴えた。両派閥が平和閥に反対する時期は暗殺による政治の時代として知られるようになり、これにより関東軍は満州の占領、そして後に日中戦争、盧溝橋事件へとなだれ込む。しかし、ノモンハン事件によってソビエトの数と装甲の優位性から、シベリア北方へのこれ以上の拡大は不可能であることが示された。 日ソ国境紛争の失敗に続く陸軍の名声喪失により、海軍閥は多くの強力な財閥に支えられて優勢を獲得し、彼らの利益が海軍へ、そして太平洋戦争への道をきり開いた。 帝国陸海軍の対立はさらに両者がそれぞれで爆撃用航空機を製造し、陸軍が独自の水陸両用歩兵部隊(海上軌道旅団)を開発して駆潜艇や空母を含む船や潜水艦を運用し、海軍が独自の歩兵と海兵隊を編成していた。 この競いには、ミッドウェー海戦による悲惨な結果を陸軍に知らせるのに数週間費やす日本海軍、といった例などもある。 アメリカ合衆国脚注
関連項目
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