軽井沢会テニスコート
軽井沢会テニスコート(かるいざわかいテニスコート)は、長野県北佐久郡軽井沢町の旧軽井沢にある、会員制のテニスコートである。明治時代からの歴史を持ち、明仁親王(当時皇太子)と正田美智子が出会った場として知られ、戦後テニスブームの火付け役となった。 概要旧軽井沢銀座の東側に位置し、面積は約4,000m2。13面のコートとウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によるクラブハウスを備える[2]。スタンドの収容人員は約200人[1]。一般財団法人軽井沢会が所有し、会員制であるがシーズンオフには予約制で非会員も利用できる[3]。ドレスコードがあり、伝統的に白を基調としたテニスウェアの着用を推奨している[4]。 旧軽銀座の軽井沢観光会館とテニスコートの間の道は「テニスコート通り」と呼ばれており[5]、ミヒャエル・クーデンホーフ・カレルギー伯爵が滞在して描いた『テニスコート通り』の絵画が通りに掲出されている[6]。 歴史![]() 1885年(明治18年)。カナダ人宣教師のアレクサンダー・クロフト・ショーが訪れ、軽井沢の保健休養地としての歴史が始まった。この地にテニスコートが出来たのは1892年(明治25年)頃との記録がある。当初はコート2面であったが[7]、のちに13面まで増設されている[2]。土地台帳には1909年にイギリス人のW.G.カナレーが一反八畝二歩(約1788m2)の地上権を購入した記録が残っており、それ以前は地元の地主から借り受けていたと考えられる[8]。 1913年(大正2年)、軽井沢会の前身となる「軽井沢避暑団」発足[9]。アメリカ人のハーベ・ブロカ、D.C.ライクが約4反の土地を買い取っており、先述のW.G.カナレーを含めた3名が避暑団にテニスコートを寄贈した[8]。1917年には軽井沢国際テニストーナメントの第1回大会が開催された[1]。1929年にはウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によるクラブハウス竣工(御木本隆三が寄贈)[9]。ヴォーリズは、軽井沢では軽井沢ユニオンチャーチや亜武巣山荘、睡鳩荘をはじめとする60棟以上の建物の設計を手掛けている。第二次世界大戦終戦後の1946年には米軍に接収された[1]。2005年からは、軽井沢テニス協会主催により国際テニス連盟(ITF)公認の男子国際大会「軽井沢フューチャーズ」が開催されており、若手選手がATPツアーで戦うための登竜門となっている。 皇室とのかかわり軽井沢と皇室とのかかわりは、1878年(明治11年)に明治天皇が北陸・東海へ巡幸した際に行在所が設けられたことから始まる。1920年代になると竹田宮、伏見宮、北白川宮、朝香宮等の皇族が次々と別荘を建設、親類の華族など上流階級の別荘建設も相まって、以降皇室関係の来訪が活発になった。1957年(昭和32年)8月19日、軽井沢国際テニストーナメントに出場していた明仁親王は、日清製粉の会長令嬢の正田美智子と出会う。テニスを通じて親交を深め、1年余りの交際ののち1958年11月27日に婚約を発表[10]。1959年(昭和34年)4月10日に結婚の儀が執り行われた。天皇に即位してからも幾度か軽井沢会テニスコートでプレイしている[11]。 軽井沢会軽井沢会は別荘所有者の自治組織であり、1913年(大正2年)に外国人避暑客を中心として発足した「軽井沢避暑団」を前身とする[2]。この団体は1916年12月にダニエル・ノーマンらにより財団法人となった。1942年には、1922年開設の「軽井沢集会堂」と合併し「財団法人軽井沢会」となった[9]。2010年現在の会員数は、正会員・家族会員合わせて1614名[2]。 軽井沢国際テニストーナメント日本のテニストーナメントとして最古の歴史を持つオープン大会で、1917年に第1回大会が開催された。1944年・1945年には第二次世界大戦により中断されたが接収中の1946年に再開した。1970年代には、参加者増加により鹿島ノ森、日本信販ユートピー、町営コートなど近隣のテニスコートも併用されたが、1977年からは軽井沢会テニスコートのみの開催に戻っている。2016年には第100回大会を迎えた[1]。参加者は延べ800人を越える[12]。略称は「軽トー」。 歴代優勝者には、三神八四郎、原田武一、福田雅之助、青木岩雄、佐藤次郎、三木龍喜、布井良助、太田芳郎、宮城黎子、井上早苗、畠中君代、石黒修等の有名強豪選手(プロを含む)のほか、オルトマンス家、バッソンピエール家、ライフスナイダー家、松平康愛(松平康昌の子)、堀田正久(堀田正恒の子)、朝吹三吉、原田敬策(原田熊雄の子)、相馬靖子(相馬勇紀の母)等の名もある[13]。また前述した上皇明仁、上皇后美智子のほか、天皇徳仁も出場、秋篠宮文仁親王はジュニア部門で優勝している[14]。 脚注
参考文献
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