迷路 (野上弥生子の小説)
『迷路』(めいろ)は、日本の作家・野上弥生子の長編小説。昭和10年代の日本(東京、軽井沢、大分)と中国を舞台に、左翼運動に身を投じ弾きだされた青年の、さまざまな葛藤を描いた作品[1]。社会の上層階級の人々の動きも随所に描き込まれ、戦争そして敗戦へ向かう時代を重層的に描いている[1]。1936年11月から雑誌『中央公論』に「黒い行列」の題名で書き始められ、翌年「迷路」と改題して書き継がれたが戦争で中断、戦後1948年10月第1部刊、執筆が再開され雑誌『世界』1949年1月-1956年10月に連載、1956年に完結した。並行して6部にわたる単行本が岩波書店から出版された[2]。著者の代表作の一つで、1958年に第9回読売文学賞受賞[3]。 あらすじ時は1935年(昭和10年)、帝大を退学した26歳の菅野省三は、東京で故郷由木の旧藩主阿藤子爵家の古文書整理や同家子息の家庭教師をして暮らしていた。帝大同期生との交流、同郷のブルジョア垂水家、増井家との交際の様子が描かれ、2・26事件(1936年)前後の東京、また両家別荘のある軽井沢での生活を通して、戦争に向かう時代の空気が仔細に語られる。ある出来事により阿藤家を辞した省三は、郷里の図書館の職を得る。九州大分の風景の中で、同じ町の若者伊東慎吾との触れ合いがあった。そして1943年のある日、省三に赤紙が来る。中国中部へ赴いた省三は軍隊生活の中で思わぬ人物と再会し、延安の反戦組織の活動を知る。1944年11月、省三は延安めざし、脱走をはかる。 主な登場人物
小見出し岩波文庫の小見出し一覧[4]
発表・出版年譜
背景野上弥生子は大分県臼杵の醸造家小手川酒造の出身であり、その風景とたたずまいは主人公・菅野省三の郷里、大分県の城下町由木と、実家である醸造家菅野家の描写にとりいれられている[29]。 主人公が奉職する由木の図書館は実業家の増井礼三が寄贈したという設定だが、臼杵には地元出身の実業家荘田平五郎(1847年 - 1922年)が三菱を退職する際に私費を投じて1918年に寄贈した図書館がある。同館は現在、臼杵市立図書館付属の荘田平五郎記念こども図書館となっている[30]。 野上弥生子は東京の自宅のほかに軽井沢に別荘を持ち、晩年まで毎年夏期は軽井沢の大学村で過ごした。1938年には軽井沢警察署からロシア文学者湯浅芳子の件で出頭を命じられた。また同年に夫が渡欧した際に同行し、第二次大戦開戦前後の欧米の状況をつぶさに見た弥生子は帰国後、軽井沢の山荘を疎開用に越冬工事している。これらの経験は作中人物の会話や情景描写に活かされている[31]。 著者「あとがき」によると、能狂いである江島宗通のモデルを大老井伊直弼の孫にあたる井伊直忠伯爵とした以外は、登場人物のモデルはいない。また井伊伯爵についても、正妻をめとらなかったこと、生涯を能に託したこと、梅若万三郎のパトロンであったことのほかはフィクションであるとしている。また「反戦者宗通」附記には、「強いてモデル探しをすれば「ボワリー夫人は私だ」とフローベルがいった意味において、人物の全ては作者自身と考えていただきたい。」と記している[32]。 著者の夫である野上豊一郎(1883年 - 1950年)は能楽研究者であり、本書執筆途中に他界した。著者は本書完結後、文庫版冒頭に「亡き夫 豊一郎にささぐ」と記している[33]。 著者自身は『迷路』完成前に中国を訪れたことはなく、中国の戦場場面については画家飯田善国の出征手記と情景画を参考にしたことが、著者「あとがき」に記されている[34]。 参考文献
脚注
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