都営バス青戸支所
都営バス青戸支所(とえいバスあおとししょ)は、東京都葛飾区白鳥の水戸街道沿いに所在する都営バスの営業所(支所)。葛飾区、墨田区、台東区の水戸街道・浅草通り周辺を運行する路線を担当し、上23・上26系統など一部路線では江東区や江戸川区まで運行する。正式名称は、東京都交通局南千住自動車営業所青戸支所で、営業所記号はZを用いる。ナンバーは足立と葛飾である。2006年4月1日付ではとバスに運営委託している。 概要
青戸支所は、都営バスの支所では唯一、他所のような営業所からの格下げではなく、1959年11月1日の発足当初は新谷町営業所の分車庫で、1961年1月1日から支所となった。当初は新谷町自動車営業所青戸支所の名称であったが、1975年には新谷町営業所の南千住移転により現名称となる。 青戸支所管轄の一部路線は採算性に難があったため、2006年4月1日付ではとバスへ委託された。その際に比較的採算の良いとされた錦37系統は委託されず直営のまま残されたため、当系統を管理する目的で、同一敷地内に東京都交通局南千住自動車営業所青戸分駐所が設置された。営業所記号は南千住営業所本所と同じくKを用いていた。2008年4月1日付で、錦37系統もはとバスへ運行委託が行われることとなり、青戸分駐所は青戸支所に統合された。 現行路線
上23系統![]()
浅草、押上、東墨田地区を経由し、平井駅前と浅草・上野間を結ぶ路線。 この系統の起源は、平23乙系統(ただし平23甲(現:平23)系統とは平井駅前で接続する以外全く別の路線)で、平成に入る前までは平井駅前を出て押上を経由し、蔵前橋通り・清澄通り経由で両国駅前に向かっていた。主に、平23乙系統は墨田区北部からの区役所へのアクセス路線としての存在価値があった。しかし、1990年に墨田区役所が吾妻橋に移転したため、上37系統(上野松坂屋 - 八広 - 青戸車庫)とともに路線の見直しが行われることとなり、平23乙系統の東側(押上駅 - 平井駅)と上37系統の西側(上野松坂屋 - 押上駅)を通るルートに改めた。 その後、系統番号を上23系統に改めた。また、2006年4月には、はとバスに運行を委託することとなった。押上駅経由は東京スカイツリーへのアクセスとして日中を中心に毎時1本運転していたが、2016年4月の改正で廃止となった。出入庫便である青戸車庫系統は本数が少ない。また上野・浅草側からは深夜の入庫便として東墨田二丁目止まりがある。
上26系統
亀戸駅と上野公園を結ぶ路線。入谷鬼子母神 - 上野公園間は半環状に大きく迂回するような形で走る。青戸支所への出入便として亀戸駅側からとうきょうスカイツリー駅(2012年3月31日までは言問橋)発着、上野松坂屋側から隅田公園発着が運転される。 都営トロリーバス101(上野公園 - 今井)101系統の代替バス601系統として開業し、東京都交通局の系統番号見直しにより上26系統へと変更となった。長らくトロリーバス時代と同経路で運行していたが、1990年7月21日に亀戸駅 - 上野公園(上26系統)と今井 - 亀戸駅(亀26系統)に分割された。 本系統は、当初は大塚・巣鴨営業所の共管で、その後は移管が繰り返され、2009年4月のはとバス委託で青戸支所の単独所管に落ち着いた。
平28系統
1990年3月に葛西営業所(現・江戸川営業所)の管轄で開設された。 東大島駅の小松川口から平井駅を廻り、東大島駅に戻るアーチ状の路線。東大島駅では、AL01系統と同じく小松川口(東口)を発着する。平井駅方面と東大島駅方面では経路が異ないる。2018年まで運行されていた平井操車所行きは、循環線と区別するために橙色の方向幕を使用していた。 2018年の改正で、平日昼間に平井駅止まり、平井駅始発がそれぞれ1本ずつ新設された。 2005年に葛西から臨海に移管し、はとバス委託となり、その後2015年4月1日に青戸に移管されたのち、2023年4月1日にAL01との統合を行なったのと同時に、臨海との共管となった。 錦37系統
青戸車庫を起点とし、葛飾警察署、四ツ木橋、押上駅を経由して錦糸町駅を結ぶ路線と、新四ツ木橋から八広を経由して錦糸町駅に至る折返線からなる系統である。 元は押上から浅草を経て上野松坂屋まで行っていたが、1990年11月に押上以西の経路を平23乙(現・上23)系統と入れ替え、現在の経路となった。その際に紫色の方向幕を採用し、押上地区を経由する上23・上26系統と区別していた。 2016年4月に上23系統の押上駅経由が廃止されたため、押上駅前広場に乗り入れる唯一の都営バス路線となった。
草39系統![]()
浅草と金町駅を水戸街道経由で結ぶ。都営バスの中では数少ない繁華街と郊外を放射状に結ぶ路線である。 元は69系統として、金町駅 - 四ツ木橋 - 浅草寿町 - 浅草橋 - 小伝馬町 - 日本橋 - 東京駅北口の運行であったものを浅草止まりとしたのち、京成バス上34系統の廃止代替として上野まで延長した。1996年9月7日に京成バス上野線(上34系統、上野広小路 - 市川駅。元は都営バス新谷町営業所→青戸支所との相互乗り入れ系統で、都営の撤退後に京成電鉄奥戸営業所の単独運行となっていた)の上野方面の廃止後、墨田区からの要請を受け、平日昼間のみ浅草 - 上野間を区間延長して運行開始した。 かつては青戸車庫 - 浅草寿町間で、草39系統と上37系統の誤乗防止のため、草39系統には「向島経由」、上37系統には「中居堀経由」の札を用意していた。 2006年4月よりはとバスに運行委託された。出入庫便として青戸車庫発着(主に青戸車庫 - 金町駅)もある。 廃止路線
AL01系統東大島駅からチェリーガーデンを経由し東大島駅に至る。小松川二丁目周辺の新興住宅地から東大島駅へのアクセス改善を狙って設定された「アクセスライン (Access Line) 」第1号で、1999年3月31日に試験運行を開始後、一定の利用客が見込めたため、2000年4月1日に本運行を開始した。 運行開始時の担当は葛西営業所で、2004年に葛西から臨海に移管されはとバス委託となり、2015年4月1日に青戸へ移管された。 朝と夕方以降のみの運行で、運賃は100円(小児50円)、他の一般系統と区別するため、黄色地に紺色文字の方向幕を採用した。 車両は、当初は都バスカラーにアクセスライン専用装飾を施した日野・レインボーRJワンステップを使用していたが、臨海への移管後は大型ノンステップバスも充当されるようになった。 2018年頃から利用客が減少傾向となり、コロナ禍による大幅減便を経て、2023年4月1日付で平28と統合され廃止された。
上23系統(一部区間の廃止)
上23系統のうち、1時間に1本は東京スカイツリーへのアクセスを目的に押上駅へ乗り入れる経路を取っていたが、2016年(平成28年)3月31日限りで廃止、全便が押上駅非経由へ統一された。 上野 - 押上便は、東京スカイツリー開業に伴い、2012年4月に設定されたが、東武バスセントラルのスカイツリーシャトル上野線と競合路線となったことから、わずか1年で廃止された。橙色の方向幕を使用していた。 平28系統(一部区間の廃止)従来、平井駅から平井操車所へは、平23系統が受け持っていたが、利用客の減少により、2003年に平井駅までに短縮された。翌2004年の改正で、平日日中の一部便が平井操車所まで延伸されたが、利用客は少なくダイヤ改正のたびに減回され、2018年の改正で再び全便が平井駅までに短縮されたことで廃止された。 有30系統亀有駅北口と足立区役所を環七経由で結ぶ路線である。 元は、亀有駅北口と王子駅を結ぶ王30系統で、東武バスと共同運行していた。1995年11月21日改正時点で亀有駅北口発は、平日・土曜27便(うち中央本町庁舎6便)、休日30便(中央本町庁舎5便)であった。 しかし、2003年4月の改正で東武バスとの共同運行は解消され、また都営バス千住営業所が運行していた王30系統が、経路のほぼ中央に位置する足立区役所を境に、有30系統(亀有駅北口 - 足立区役所)と王49系統(足立区役所 - 王子駅)に分断された。この際に足立区の意向を踏まえ、両系統の終点は足立区役所構内とされた。それにより、ほぼ足立区役所へ向かうための路線と化し、1日数本しか運行されなくなった。 なお東武バスは現在も、王30系統や、有30系統の代替として使える足35系統(亀有駅前 - 足立区役所)を継続して運行している。 →詳細は「都営バス千住営業所 § 王49系統」、および「東武バスセントラル葛飾営業所 § 亀有駅 - (環七通り) - 足立区役所・王子駅線」を参照
上34系統京成電鉄との相互乗り入れ。1975年12月、それまで担当していた新谷町営業所の南千住移転に伴い青戸へ移管された。東京都交通局第2次再建計画に伴う路線再編成により1977年(昭和52年)12月15日限りで都営が撤退、京成の単独運行となる。 1996年(平成8年)9月7日付で、京成バス奥戸営業所は市川駅 - 新小岩駅へ経路を変更した。現在は新小52系統として京成バス東京(旧京成タウンバス)が運行している。 →詳細は「都営バス南千住営業所 § 上34系統」、および「京成バス東京 § 四ツ木線」を参照
墨38系統![]() 2014年撮影
従来から区の南北方向を貫く交通が分断されている墨田区において、区内一円の公共施設連絡を図るという強い政策的要請を受け[1]、1991年(平成3年)7月1日に新設された。なお同様の路線としては、1960年代に東京都交通局と京成電鉄の共同運行による137系統が設けられていたが、わずか3年で廃止され、それから20年以上も路線の設定がなかった。 →「都営バス千住営業所 § 137系統」も参照
運行当初より、東京都交通局と墨田区の間で協定が結ばれ、発生する赤字額の半分を墨田区が補填していた[2][3] 当初は千住営業所と青戸支所の共管(主管は千住)で、2003年の南千住営業所への移管を経て、2006年4月に青戸支所に再移管、はとバス委託路線となった。 2012年(平成24年)、墨田区コミュニティバス「すみだ百景 すみまるくん・すみりんちゃん」が運行開始。墨38系統に近い形で北西部ルートが設けられ、競合したことを理由に交通局では平成24年度末で運行を終了する方向で検討を進めた。しかし、墨田区の補助金負担割合の増加と、運行本数の削減により、2年間は路線維持されることとなった[4]。 交通局は2015年(平成27年)2月27日付で、同年3月をもって墨38系統を廃止すると発表、3月31日をもって廃止された。事実上の廃止代替として、同年3月30日から南千住営業所が錦40系統(南千住駅東口 - 錦糸町駅)を新設し、とうきょうスカイツリー駅 - 東向島広小路間の墨38系統独自区間は、錦40系統が引き継ぐこととした。 →詳細は「都営バス南千住営業所 § 錦40系統」を参照
39・135系統
1952年2月15日、吾嬬西九丁目 - 浅草寿町間を、新谷町営業所(現・南千住営業所)担当の39系統として開通。その後は路線の延長や変更、青戸支所開設に伴う移管を繰り返し、最終的には京成電鉄バスとの相互乗り入れ路線となり、系統番号も135系統となっていた。 1970年12月25日に廃止。その後に台東区の石浜・橋場地区には、南千住営業所の東42乙系統としてバス路線が復活した。 →詳細は「都営バス南千住営業所 § 東42甲・乙系統」を参照
62系統
国際自動車(現・ケイエム観光バス)が特定乗合として運行していた「官衙バス(かんがバス)」の流れを汲む路線。主担当は目黒で、青戸は応援の立場だった。営団地下鉄丸ノ内線、日比谷線開業の煽りを受け、交通局第1次再建計画策定よりも前の1966年(昭和41年)6月30日限りで廃止された。 →詳細は「都営バス港南支所 § 62系統」、および「ケイエム観光バス § 路線バス事業」を参照
530系統1969年(昭和44年)10月26日の都電第4次撤去で廃止された都電30系統の廃止代替バスとして運行開始。東向島広小路から、現在の草39系統のルートで上野広小路を経由し、須田町まで運行していた。両端には折返所がなく、東向島側では、東向島広小路手前の東向島三丁目交差点から、東武曳舟駅脇の向島郵便局前を通り曳舟川跡の道路に出て、明治通り経由で東向島広小路に出ていた。須田町側では、外神田五丁目から右折し、中央通りの一本西の道路を通り昌平橋を渡り、淡路町・秋葉原駅経由で折り返していた。 1971年(昭和46年)1月1日をもって廃止。都電代替系統としては1年2か月という廃止最短記録となった。 車両
脚注参考文献
外部リンク |
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