醒睡笑『醒睡笑』(せいすいしょう)は庶民の間に広く流行した話を集めた笑話集。著者は茶人や文人としても知られる京(京都)の僧侶、安楽庵策伝。写本8巻8冊、1039話の話を収録している。「眠りを覚まして笑う」の意味で『醒睡笑』と命名された。1623年(元和9年)成立[1]。板倉重宗へ献呈された後、転写されて流布した[1]。『醒酔笑』と記す資料もあるが正当ではない。 概説策伝の自序では、「策伝それがし小僧の時より、耳にふれておもしろくをかしかりつる事を、反故の端にとめ置きたり」[2]と話を収集した過程を述べている。収録されている話の中には、『無名抄』『宇治拾遺物語』に由来するものがあり、同時代に発行された『戯言養気集』と『昨日は今日の物語』と共通するものもある。それらは、策伝が直接引用したのか、巷間に伝わっていたものを採用したものか不明である[2]。 元和元年(1615年)の頃、策伝が板倉重宗の前で話した話が面白く、著書として纏めるように薦められたことから『醒睡笑』が著されたという。策伝が完成した『醒睡笑』を重宗の元に届けた折り(1628年:寛永5年3月17日)、重宗と同席した子・重郷(板倉侍従)に献呈された(実際には重宗への献呈)。この経緯は、重宗による奥書に記されている。 影響『醒睡笑』は、後の咄本(はなしぼん)や落語に影響を与え、寄席落語の元ネタとして参照された[3]。例えば、初代露の五郎兵衛による『軽口露がはなし』(1691年、元禄4年)に記載された88話中、28話が『醒睡笑』に由来する噺である[2]。関根黙庵の『江戸の落語』(1905年)以降、策伝は落語の祖と位置づけられている[4]。現代でも『醒睡笑』に由来する子ほめをはじめ複数の落とし噺が演じられる。また、小辺路・大辺路の名前の歴史[5][6]や瀬田の唐橋に関する格言『急がば回れ』の由来[7][8]などについて、現代では歴史的な資料としても利用されている。 原典の構成
主な校訂文献
脚注
関連項目外部リンク
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