雷型駆逐艦
雷型駆逐艦(いかづちがたくちくかん)は、大日本帝国海軍が初めて運用した駆逐艦の艦級。第一期拡張計画に基づき、イギリス海軍B級駆逐艦の準同型艦として、明治29年・30年度計画でイギリスのヤーロー社に6隻が発注された[7]。1899年より順次に就役し、日露戦争でも活躍した[8]。 設計本型は、ヤーロー社がアルゼンチン海軍向けに建造していた「コリエンテス」(ARA Corrientes)を発展させるかたちで設計されており[9]、イギリス海軍のB級駆逐艦の準同型艦とされている[8]。船型は同型と同じく乾舷の低い平甲板型とされ、艦首が波浪に突っ込んだときに海水をすくい上げないように、水はけの良い亀甲型(タートルバック)とされたのも同様である[10]。 ボイラーはヤーロウ式の石炭専焼式水管ボイラーで、蒸気は飽和蒸気でで、圧力17.6 kgf/cm2 (250 lbf/in2)だった。主機は3段膨張4気筒レシプロ蒸気機関とされた。各艦とも海上公試では計画値を上回る好成績を記録した[11]。 兵装は、原型となったイギリス駆逐艦の構成が踏襲されており、艦砲としては40口径7.6cm砲(安式十二斤速射砲)1門と40口径5.7cm砲(保式六斤速射砲)5門が搭載された。40口径7.6cm砲は上甲板後端、40口径5.7cm砲は艦橋上に1門と上甲板両舷に2門ずつが設置された[7]。なお、艦橋上の5.7cm砲は日露戦争前に砲力強化のため7.6cm砲に換装されている[7]。また魚雷については、上甲板後部の中心線上に2個の旋回台を設け、これに人力旋回式の45cm魚雷発射管を1門ずつ設置した[12]。 同型艦明治29年度計画で4隻、明治30年度計画で2隻が発注され、1899年(明治32年)から1900年(明治33年)にかけて6隻が就役し、当初は水雷艇(駆逐艇)に類別された[7]。このように小型の艦を単独で日本に回航するのは前例がなく、当初は分解輸送して日本国内で再組立する案もあったが、結局はイギリスで竣工したうえで日本に回航しており、以後、駆逐艦の国産化までこの方式が踏襲された[8]。 1900年6月22日に軍艦(駆逐艦)に編入され、1905年(明治38年)12月12日に軍艦籍から駆逐艦籍に転籍、1912年(大正元年)8月28日には等級が付与され、三等駆逐艦となった[7]。 霓は就役した年に座礁、沈没しているが、残りの艦は日露戦争に参加している。戦没艦はなかったものの、雷・電の2隻も事故で失われており、同型艦の半数を事故で喪失したことになるが、残りは艦歴を全うし、大正10年までに全艦退役した。 雷(いかづち)→詳細は「雷 (雷型駆逐艦)」を参照
電(いなづま)→詳細は「電 (雷型駆逐艦)」を参照
曙(あけぼの)→詳細は「曙 (雷型駆逐艦)」を参照
漣(さざなみ)→詳細は「漣 (雷型駆逐艦)」を参照
朧(おぼろ)→詳細は「朧 (雷型駆逐艦)」を参照
霓(にじ)→詳細は「霓 (駆逐艦)」を参照
登場作品アニメ・漫画
出典
参考文献
|
Portal di Ensiklopedia Dunia