高 (朝鮮人の姓)
高(こう、コ、朝: 고)は、朝鮮人の姓の一つである。2015年の国勢調査による韓国内での人口は471,396人[1]。済州特別自治道では金・李に次ぐ3番目に多い姓(41,935人)である[2][3]。 著名な人物
氏族本貫は済州高氏が大宗である。長興高氏、清州高氏、安東高氏が皆済州高氏の分宗である[4]。済州梁氏・済州夫氏とともに耽羅民族の耽羅開闢説話三姓神話に伝わる三神人の高乙那が始祖である。始祖から45世まで耽羅君を世襲し、46世末老が高麗に入朝し、高氏の中始祖になった。 また、高句麗の東明聖王の一族も高氏で、現在の横城高氏は高句麗最後の王・宝蔵王の次男、仁勝の末裔と思われる[5]。百済にも高氏という豪族があった。百済人の姓氏は、紀元前2世紀以来の濊や8世紀以降の統一新羅のような中国式姓名への改称はなく、固有語名を使用し続けた[6][7][8][9][10]。したがって、百済の高氏は、314年頃に高句麗が楽浪郡・帯方郡を滅ぼした後、百済に帰投した楽浪郡で勢力を張った中国系豪族・楽浪高氏の遺民である可能性が高い[11][12][13]。継体天皇十年(516年)、倭国に派遣された百済の五経博士に漢高安茂がいる。「漢高安茂」の「漢」は「高安茂」が漢人であることを示す表現とされており、「高安茂」が漢人であるならば、高寿、高興、高分屋なども同様とみられる[12]。北朝鮮にある楽浪古墳群の梧野里第21号墳から出土した漆器の銘文には「高孝通」とあり、平壌貞柏洞古墳群2号墳からは「高常賢印」と刻印された銀印が出土しており、高氏の出自が楽浪郡・帯方郡にあることを示す資料である[12]。ただし、前述の通り、現代の朝鮮半島の高氏のほとんどは耽羅に起源を持つ高氏である[4]。 高氏は朝鮮時代に総数77人の文科及第者を輩出し、この中長興高氏が29人、済州高氏が28人、開城高氏が8人だった。
脚注
出典関連項目 |
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