1920年代の建築についての概要である。
国内の主要作品
現況欄の○は現存、✕は現存せず、△は一部現存、部分保存
海外の主要作品
現況欄の○は現存、✕は現存せず、△は一部現存
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コンペ・受賞
- ネブラスカ州会議事堂 - 1920年7月1日、議事堂委員会はバートラム・グッドヒューをこのコンペの勝者と発表した。
- 建築学会会館(1920年)[2]
- シカゴ・トリビューン - 1922年、エリエル・サーリネン、ヴァルター・グロピウスらが参加した有名なデザインコンペの結果、レイモンド・フッドとジョン・ミード・ハウエルズのゴシック様式の案が選ばれて建設されたものである
- 大阪市美術館[2] - 1921年(大正10年)前田健二郎がコンペティション1等当選。大幅修正のうえ、1936年(昭和11年)に竣工する
- 神戸市公会堂(1922年、公開)前田健二郎・岡田捷五郎のコンビがコンペティション1等。ただし実施されず。
- 大阪府庁舍、府会議事堂[2](1922年、公開)
- 日比谷公会堂 市政会館[2] - (1922年、指名)建築家8人による指名設計競技の結果、佐藤功一案が1等となるが佐藤自身当初案を大きく変更 これをもとに清水組(現・清水建設)が施工。1929年10月19日に落成した。
- 日本建築協会15周年記念住宅博覧会と住宅の懸賞設計
- 住宅改造博覧会 - 1922年(大正11年)8月末を期限に各建築会社による設計デザインの優劣を競うコンペティションが行われ、応募総数118通、10作品が当選、うち4作品を元にした住宅が実際に博覧会会場で建設展示された。
- ホテル・モスクワ - 1922年コンペが行われ, ヴェスニン兄弟の案が優勝したが、諸般の事情により実現を見なかった。1933年アレクセイ・シューセフを任命
- オホートヌィ・リャッド労働宮殿(モスクワ)1922年
- メルボルン 戦争慰霊館 (Shrine of Remembrance) - フィリップ・ハドソン、ジェームス・ウォードロップが当選(1923年(83項目、オーストラリアとイギリスの建築家にのみ公開)
- 神戸市公会堂(1923年)[2]
- 早稲田大学大隈記念講堂[2](1923年、公開:別案で実施)公開コンペにより前田健二郎らの案が1等となるが、佐藤功一ら早稲田大学の教授らが改めて設計
- 震災記念堂[2] - 1924年(大正13年)前田健二郎がコンペティション1等入選するが、実施されず
- 学士会館(1924年)[2]
- モスクワ新聞ビューロー「レニングラード・プラウダ」コンペ(1924-1925年)
- レーニン人民の家(1924年)
- 大連駅本屋(1924年)[2]
- ブリヤンスクソビエトの家(1924年)
- 第一次世界大戦戦勝記念女神像(1924年)
- ヴェネツィア・サンタ・ルチーア駅 - 1924年からアンジェロ・マッツォーニの手による駅舎近代化計画が始まり、1934年には貨物駅も併設するためのコンペが行われた。ヴィルジーリオ・ヴァロットの案が採用され、マッツォーニ、ヴァロット両人の協力の下、1936年から1943年までかけて改築が完成する。
- モスクワ鉱山管理研究所(1925年)
- モスクワ繊維会館(1925年)
- エレクトロ組合ドム・コムーナ(1925年)
- 東京大震災記念建造物[2](1925年、公開:別案で実施)前田健二郎が当選したが採用されなかった震災記念堂コンペの後、審査員の伊東忠太が設計し竣工
- 神奈川県庁舎[2](1926年、公開)小尾嘉郎の1等当選案に佐野利器、県営繕課が手を加えて竣工
- 役馬共同厩舎懸賞募集設計(帝国馬匹協会 1926年)
- モスクワ・エレクトロバンク(1926年)
- モスクワ・スモレンスカヤ市場プロジェクト(1926年)
- モスクワ・ルスゲルドルグ(1926年)
- ドニエプル河電力センターオープンコンペティション(1926年)
- ミンスク州ベラルーシ国立大学の建築設計競技プロジェクト(1926年)
- トゥルクの農業組合本部(1927年)
- ヴィープリ図書館建築設計競技(ヴィボルグ 1927年)
- パリ万国博覧会 (1925年) パヴィリオン・コンペティション
- 南京中山陵 (1925年)
- ジュネーブ・パレス・オブ・ネイションズ - 1926年、アンリ・ポール・ネノー&ジュリアン・フレージハイマー;カルロ・ブラッギ; Camille Lefèvre; ジュゼッペ・ヴァゴらが当選(応募377案)
- 北京図書館 (1926年)
- 国際連盟会館(ジュネーブ)(1927年)ル・コルビュジエの案が否決され、CIAM結成のきっかけになった)
- トリビューン・タワー、シカゴ - ジョン・ミード・ハウエルズとレイモンド・フッドが当選(1922年(応募数260)
- モスクワ・シミョーノフスキー地区とザモスコツスキーレーチィキ地区コムナ(1922年)
- モスクワ・スモレンスク・マーケットのコンペティション(1926)
- ヴィオリ・ライブラリ - アルヴァ・アアルトが当選(1927年)
- スターリングラード文化宮殿(1928年)
- モスクワ・ディナモ会館(1928年)
- Asneftポンプステーション(1928年)
- ロシア・ツェントロソユーズ・コンペティション(1928年)
- レーニン図書館建築コンペティション(1928年)
- ズーエフ労働者クラブ(Дом культуры имени Зуева 1928年)
- ウラルマッシュ工場の給水塔(「白い塔」、1928年)
- ブリスベン・戦争慰霊館 (Shrine of Remembrance, Brisbane) - ブキャナンとカウパーが当選(1928年)
- ヴァイマール帝国議会堂拡張計画設計競技(1929年)
- 名古屋市庁舎(1929-1930年、公開)
- ハバロフスク・ソビエトの家コンペティション(1929年-1930年)
- イヴァノヴォ・ヴォツネセンクスの共同住居(1929年-1930年)
- ドニエプル・ドニプルストロイ水力ダム(1929年)
- パイミオのサナトリウム- アルヴァ・アアルトが当選(1929年)
- 中国政治区・南京政治区(1929年)
- ANZAC戦争記念館、シドニー - チャールズ・ブルース・デリートが当選(1929年(応募数117)
脚注
関連項目
外部リンク