1995〜地下鉄サリン事件30年 救命現場の声〜『1995〜地下鉄サリン事件30年 救命現場の声〜』(いちきゅうきゅうご ちかてつサリンじけんさんじゅうねん きゅうめいげんばのこえ)は、2025年3月21日にフジテレビ系で放送されたテレビドラマ[1]。主演はテレビドラマ初主演となる津田健次郎[2]。
概要本作品は、地下鉄サリン事件を題材に、実際のメディア資料を交えて制作された疑似ドキュメンタリー形式を取ったドラマ。事件発生から30年間の独自取材に基づいて、実在の人物をモデルとした救命救急センター長・剣木達彦の視点で事件の裏側を描く[3][4]。 題材となった事件は、1995年3月20日、東京都内を運行する地下鉄車両内にて、猛毒の神経ガス・サリンを用いた無差別テロ事件である[5][4]。オウム真理教によって計画・実行されたこの事件は、死者14人・重軽傷者6,300人を超える被害となり、一般市民に対して化学兵器が利用された初の事件として、世界に衝撃を与えた[5][4]。 作中で使用されたメディア資料は、事件発生時の営団地下鉄(現:東京メトロ)指令所・警察無線などの音声データ、実際に放送された報道番組の中継映像・写真などである。 本放送時の平均視聴人数は522万人を超え[6]、放送後2週間はTVerにて配信されると、配信最終日には、お気に入り件数が7万を超えた(同年4月4日時点)[7]。 あらすじ1995年3月20日、夜勤明けにも朝礼に臨む、墨東病院救命救急センターのセンター長・剣木達彦に、1本の緊急要請が入る。近隣の築地駅で爆発が起こったというのだ。急患を全て受け入れると即答した剣木には、これが東京都心の地下鉄の広範囲で発生した無差別テロだとは知る由もなかった。 この日の朝、営団地下鉄日比谷線は、通勤ラッシュの混雑にも、いつもと変わらない朝を迎えようと通常通り運行する。しかし、北千住駅発車の車両に乗り込んだ1人の乗客が、不審物を残して何食わぬ様子で停車駅に降りていく。マスクに軍手姿のその男は、走行中に新聞紙の包みを床に落とし、ビニール傘の石突きで何度も突いていたが、気に留める者もなかった。包みから漏れ出る液体も放置されたまま、やがて乗客たちは、ガソリンに近い臭いの不快感から換気を試みるも既に遅く、次々に気分の悪化を訴える。 非常通報ボタンが押され、日比谷線築地駅に緊急停車した運転士・園田直紀は、ホームで苦悶する乗客らの様子から異変を知り、狼狽えながらも救助活動へと移った。車両内には未だ、泡を吹いて動かない者、痙攣を起こし意識不明の者、起立姿勢で手すりを掴んだまま硬直した者、シンナーらしき刺激臭が残る。園田は、状況が飲み込めないながらも、液体による爆発事故が疑わしく、事態の深刻さを悟った。被害の全容も把握しきれない混乱は続く一方で、救急救命センターでの受け入れは始まっている。駅構外の地上では、要請のあった築地駅へ急行する剣木の部下らも、被害者の数や救命隊員による赤タグ使用から、現場の混乱を認識する。患者は一様に目や喉の違和感を訴え、瞳孔の縮瞳が起こっていた。 園田ら運転士や駅員が判断を煽った営団地下鉄司令所では、8時4分の広尾駅からの報告を皮切りに、各駅で同様の異変が確認される。日比谷線のみならず、丸ノ内線・千代田線からも相次ぐ非常連絡に、8時35分、司令長の命令が巡った全駅は、「ゲリラ事故発生 営業停止」の貼り紙と共にシャッターが下ろされた。警視庁からもレスキュー隊が要請され、現場の緊迫は最高潮へと達する。救急救命センターの面々は、液体の爆発、患者の容体や血液検査などから、神経ガス中毒症状と仮定するものの、原因物資が判明するまでは対症療法しか行えず、警視庁の発表を待つしかない。 一方、丸ノ内線中野坂上駅も例に漏れず、ホームに残る液体を清掃する駅員らは、ガソリンならば引火も考えられると、新聞紙の包みを素手でビニール袋に入れる。次々と倒れ込んだ駅員らは搬出され、東京消防庁化学機動中隊の突入で新聞紙の包みが回収された。この包みの1つも警視庁科学捜査研究所の服藤恵三の元に持ち込まれ、事件発覚から1時間以上経過しての解析作業後、服藤が分析結果を手渡した管理官は、霞ヶ関駅の物資を比較するのだという。医療現場への告知の遅れが危ぶまれる中、消防での検査結果からは、アセトニトリルの検出が報告される。 しかし、報道番組に注目する卸売業者・スズケン城東支店の社員らは、別の見解を持っていた。被害者の症状ならば、有機リン中毒の解毒薬・PAMが効くのではないかと判断し、本社も総出で収集し始める。救命救急センターでも、剣木は重症患者を優先に有機リン中毒の解毒薬・PAMの投与を決断し、症状の緩和を確認した。しかし、投与したPAMの通例は、農薬の中毒症状で使用されることから、墨東病院をはじめとして、都心で在庫の確保もされない代物だった。 この迅速な判断に間違いはなく、科学警察研究所の検出結果は、有機リン系であり「戦争で使われる化学兵器」のサリンが検出され、警視庁捜査1課長を通じた報道も始まる。住友製薬のMRも新幹線で日本各地から在庫確保に動いていたことから、被害者を抱える各医療機関に届いた。 多くの患者の症状が改善した一方で、中野坂上駅駅員をはじめとして、救いきれなかった乗客乗員らの命もある。この事件から2か月後、計画・実行したオウム真理教の教祖は逮捕され、2018年7月には、教団幹部ら13名とともに死刑執行されている。現在では、各所でのテロ対策が成されるものの、被害者らは未だ後遺症に苦しむ中、「あの日から30年、地下鉄サリン事件は今も終わっていない」。 キャスト救急センター
地下鉄の乗員・乗客
その他
スタッフ
脚注注釈出典
関連項目
外部リンク
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