2010年茨城県議会議員選挙2010年茨城県議会議員選挙(2010ねん いばらきけんぎかい ぎいんせんきょ)は、茨城県の議決機関である茨城県議会を構成する県議会議員を全面改選するため、2010年12月12日に投票が行われた日本の地方選挙である。 概要県議会議員の任期(4年)満了に伴う選挙である。また県内の笠間市と坂東市、稲敷市の3市では市議会議員選挙も県議選と同日に実施された[1]。 茨城県議会は、1966年に県議会議長選出を巡る汚職事件をきっかけとして、地方公共団体の議会の解散に関する特例法によって自主解散したため、全国規模で4年毎に行われる統一地方選挙の日程から外れるようになった。県議選は、統一地方選挙の前年12月に実施されるため、統一地方選挙の前哨戦としての意味合いが強い選挙となっている。特にこの時は、国政における政権交代後初の都道府県議会議員選挙であっただけに、全国的に注目される選挙となった。 この選挙から大幅に区割りが変更され、おおむね平成の大合併によってできた現在の自治体単位での選挙区となった。このため、一部の選挙区では現職の人数が定数よりも多い場合もある。 選挙データ
選挙結果民主党政権発足後初の都道府県議会議員選挙となった今回、国政与党の民主党は大幅躍進を狙って23人の候補を擁立、2桁の当選を目指したが、尖閣諸島中国漁船衝突事件が直撃して現状維持の6議席に留まる事実上の惨敗となった。特に、トップ当選が1人もいなかった上、1人区では1議席も獲得できず、更に複数区でも1議席も取れない選挙区が相次ぐ、非常に厳しいものとなった。民主党県連会長の郡司彰は、この惨状について「北風が吹いているところに、氷雨が降ってきた」と表現した[6]。野党の自由民主党は、大幅な世代交代が進む中で議席数こそ減らしたものの36人中33人が当選した。無所属当選者にも推薦を受けた候補者がおり、引き続き議会の第一党として改選前の勢力をほぼ維持することとなった。都道府県議会議員選挙初参戦となったみんなの党は、取手市選挙区(取手市・利根町)・守谷市選挙区で議席を獲得した。公明党は立候補した4名すべてが当選したものの一部が最下位当選となったほか、日本共産党はつくば市の議席を失い、水戸市選挙区(水戸市・城里町)の1議席に留まる結果となった。
選挙区・定数2013年9月8日の補欠選挙による結果・補充分は()の中に示す。
その他保冷車突入12日午前10時35分ごろ、無所属の立候補者の選挙事務所に、四トンの保冷車が突っ込んだ。立候補者の叔父が逃げようとした保冷車を制止しようとして轢かれ、病院に運ばれたが間もなく死亡した。保冷車はそのまま逃走した。その立候補者は当選した[10]。 →詳細は「戸井田和之選挙事務所襲撃事件」を参照
報道等
出典
関連項目 |
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