AL☆VEシアター
![]() AL☆VEシアター supported by 109シネマズ(アルヴェシアター サポーテッド バイ いちまるきゅうシネマズ)は、秋田県秋田市東通仲町の「秋田拠点センターアルヴェ」2階にある映画館。 ここでは、前身であるパンテオンシネマズAKiTA(パンテオンシネマズあきた)、駅の映画館 AKiTAシアター(えきのえいがかん あきたシアター)、ルミエール秋田(ルミエールあきた)についても述べる。 歴史水野晴郎プロデュースにより、水野の個人事務所「M&T ピクチャーズ」(西田和昭代表)が主体となって秋田市南通亀の町で「秋田パンテオン」や「秋田有楽座」を1955年(昭和30年)[注 1]から経営していた興行会社「第一商事」と提携して「秋田駅周辺地区新都市拠点整備事業」によって建設された「秋田拠点センターアルヴェ」の2階にパンテオンシネマズAKiTAの名称で2004年(平成16年)7月16日に開館。パンテオンと有楽座を亀の町から実質移転[注 2]する形でスタートした。 その後、2004年(平成16年)後半から西田和昭の病気療養を理由に「M&T ピクチャーズ」に出資していた「ラスカルピクチャーズ」が運営に当たっていたが、2005年(平成17年)10月に再び「M&T ピクチャーズ」に運営が戻る。 しかし、テナント料の問題として民事訴訟に発展し、同年11月16日、東京地裁は水野らに明け渡しとテナント料4,200万円の支払いを命じる判決を下した[5]。判決に先立って10月からパンテオンシネマズAKiTAも突然の休業に入り、事実上の撤退をした[6]。 後継テナントとして、民間棟部分のビルオーナーの秋田新都心ビルの作業が難航したことから民間棟のテナント会有志が黒沢久雄の事務所に直接掛け合って交渉するなど後継探しが一時二分したが、最終的にテナント有志側が2006年8月5日から9月15日までの期間限定で、駅の映画館 AKITAシアター(えきのえいがかん あきたシアター)として暫定営業という形で映画館を再開[7][8]。2つのスクリーンでの限定公開だったものの、採算ラインを上回ったため、9月16日以降も採算ラインを割らなければ続けるということとなった。 同年11月、岩手県盛岡市で名劇、ルミエール、ピカデリーなど5館の映画館を展開する岩手県盛岡市の南部興行が運営に名乗りを上げた[9]。同社は「AKITAシアター」の名称で、2006年11月18日から営業を開始し、本格的に復活[7][8]。 2007年(平成19年)4月25日、テナント契約更新を機に、ルミエール秋田(ルミエールあきた)と改称[9]。しかし、2020年(令和2年)5月18日、民間棟を管理・運営する秋田新都心ビルとの契約が満了するため閉館した[10]。 以降は秋田ケーブルテレビと秋田新都心ビルが設立した合弁会社「秋田シネマ&エンターテイメント」が不定期に映画を上映していたが、同年12月25日に同社が「AL☆VEシアター」(アルヴェシアター)として再び開館[11]。5つあるスクリーンのうち3つのみ使用し、運営と編成は109シネマズを展開する東急レクリエーションがサポート[12]。残りのスクリーンは2021年(令和3年)3月9日に会員制サテライトシェアオフィスとして改装の上「Atelier AL☆VE」(アトリエアルヴェ)として開業し[13][14]、これを機に現在の施設名であるAL☆VEシアター supported by 109シネマズ(アルヴェシアター サポーテッド バイ いちまるきゅうシネマズ)と改称された。 沿革
特色
スクリーン2021年8月現在のもの[28]。
脚注注釈出典
外部リンク
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