ECコメルシアウ
ECコメルシアウ (ポルトガル語: Esporte Clube Comercial) は、ブラジル・マットグロッソ・ド・スル州カンポ・グランデを本拠地とするサッカークラブである。ブラジル国内には同名クラブが他にもあるため、コメルシアウ-MS (Comercial-MS) と表記されることがある。 歴史1943年3月15日[1]、エテオクレス・フェレイラとその他のドン・ボスコ校の生徒たちによって創設された。彼らは裕福な農家と小売商の子息たちだった。[2]1948年、クラブの会長にジャミウ・ナグリスが選ばれ、彼はクラブカラーを現在のものに変更した。[2]1967年9月12日にカンポ・グランデで行われた試合において、コメルシアウはペレ、アグスティン・セハス、クロドアウド、カルロス・アウベルトを擁する強豪サントスを1-0で破った。得点者はジウだった[3]。 1973年、カンピオナート・ブラジレイロ・セリエAに初参戦し、26位で終えた[4]。1975年、カンピオナート・マトグロッセンセ(マットグロッソ州選手権)での唯一のタイトルを獲得した[5]。1979年、カンピオナート・スル=マトグロッセンセ(マットグロッソ・ド・スル州選手権)の第1回大会に参戦した。コメルシアウは決勝でオペラリオに敗れた[6]。 1982年、カンピオナート・スル=マトグロッセンセに初優勝した[5]。1986年のカンピオナート・ブラジレイロ・セリエAでは35位で、これが現在まで最後の同大会参戦となっている[7]。1994年、コパ・ド・ブラジルに初参戦した。1回戦、2回戦を突破したが、準々決勝でエスピリトサント州のリニャレスに敗れた[8]。 2002年、コパ・セントロ=オエステ準決勝に進んだが、ガマに敗れた[9]。 タイトル
スタジアムホームスタジアムのエスタジオ・ウニヴェルシターリオ・ペドロ・ペドロシアン、通称モレノン[1]は1977年に会場し、収容人数は24,000人[10]。 また、CTヴィラ・オリンピカという練習グラウンドを保有している[3]。 ライバル最大のライバルはオペラリオである。2クラブによるダービーはコメラリオ (Comerário) と呼ばれ、50年以上の伝統がある[11]。コメルシアウとオペラリオは、いずれもカンピオナート・スウ=マトグロッセンセとカンピオナート・マトグロッセンセに優勝しており、異なる州の選手権に優勝した経験を持つブラジルでただ2つのクラブである[1]。 クラブカラー創設当時、オペラリオのクラブカラーは赤、緑、黒だった[2]。 1948年、クラブ会長のジャミウ・ナグリスが現在のものに変更した[1][2]。 愛称クラブの愛称コロラド (Colorado) [12]は「赤」を意味し、そのクラブカラーに由来する[3]。またブラジルの民間伝承にある妖精サシに由来するサシ (Saci) あるいはサシ・ダ・ヴィラ (Saci da Vila) という愛称でも知られる[13]。 マスコット歴代所属選手→詳細は「Category:ECコメルシアウの選手」を参照
脚注
外部リンク |
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