HCディナモ・モスクワ
HCディナモ・モスクワ(ロシア語: Хоккейный клуб Динамо Москва, 英語:Hockey Club Dynamo Moscow)は、ロシア・モスクワを本拠地としているアイスホッケークラブ。現在はKHLのウェスタン・コンファレンスに所属する。2010年にHC MVDと合併された。 旧ソ連の時代を含め11回の優勝歴を持つ。2012年と2013年のガガーリン・カップ覇者。 ディナモ・モスクワはアイスホッケーの他、サッカー、バスケットボール、女子バレーボールも強豪となっている。 (※FCディナモ・モスクワはシーズン2015/16をロシアプレミアリーグ最下位で終了し、創設以来初めて2部に降格した。[2] ) 沿革アイスホッケークラブ・ディナモは1946年11月22日に創設された。 ディナモはソ連で最初のアイスホッケークラブでもある。 1946年12月22日、ディナモはクラブとして最初の公式戦を行い、ヴォドニク・アルハンゲリスクに5対1で勝利を収めた。 ソ連リーグの創設最初のシーズン1946/47にディナモはソ連で最初のチャンピオンになった。 ディナモが次にソ連チャンピオンとなったのは1953/54年のことで、この時の監督はディナモのレジェンド、アルカージー・チェルニショフであった。 3回目にリーグ優勝を果たしたのはソ連崩壊直前の1990年のことで、1954年以来36年ぶりの優勝となった。 ロシアスーパーリーグ90年代はディナモの黄金期で、1990年から1993年まで4年連続でリーグ優勝を成し遂げる。 1995年にも優勝したが、この時はソ連リーグではなくIHL(インターナショナル・ホッケーリーグ)の優勝だった。 2000年にディナモは5年ぶりのリーグ優勝を達成。この時チームを率いていた監督はかつてディナモの選手だったジネトゥラ・ビリャレディノフであった。 シーズン2004/05は特別なシーズンとなった。NHLのロックアウトのために多くの海外の選手がロシアに渡航し、ロシアリーグに加入した。 デトロイト・レッドウィングスに所属するパーヴェル・ダツュクはディナモに入団し、活躍を見せた。また、この時のディナモにはNHLに移籍する前のアレクサンドル・オベチキンが在籍しており、リーグ優勝を果たす大きな原動力になった。 KHL2008年にロシアスーパーリーグを母体としてKHLが発足すると、ディナモはそのままKHLに加入。ウエスタン・コンファレンスに所属し、リーグ全体の強豪としての地位を占める。
KHLの成績Note: GP = Games played, W = Wins, L = Losses, T = Ties, OTL = Overtime/Shootout Losses, Pts = Points, GF = Goals for, GA = Goals against
ファームクラブディナモにはKHL以外にも下記のファームクラブがある。 HC ディナモ・バラシハHC ディナモ・バラシハはKHLのマイナーリーグに当たるスプリーム・ホッケー・リーグ(SHL)に所属する、ディナモ・モスクワのファームクラブである。[4] バラシハはモスクワ州の東部にある町で、ディナモ・バラシハの本拠地は「アリーナ・バラシハ」である。 シーズン2015/16は定期試合を全26チーム中12位の成績で終了し、プレーオフにも進出した。[5] 2015年12月28日、ディナモ・モスクワの監督だったハリス・ヴィトリンスがシーズン半ばで解任され、ディナモ・バラシハの監督だったセルゲイ・オレーシキンがディナモ・モスクワの監督に就任した。[6] HC MVDHC MVDは20歳以下の選手がプレーするジュニア・ホッケー・リーグ(JHL (ロシア))に所属する、ディナモのファームクラブ。[7] 2010年にディナモと合併して解散したHC MVDと同じ名前だが別のクラブである。MVDとはMinisterstvo vnutrennikh del(内務省)のことであり、かつてディナモが内務省の支援を受けていたことに由来している。 SHLのディナモ・バラシハと同じくバラシハを本拠地とする。シーズン2015/16の成績は中の下といったところで、JHLのウエスタン・コンファレンス15チーム中10位の成績でシーズンを終了し、プレーオフには進めなかった。[8] ホームアリーナ
タイトル国内タイトル
国際タイトル
脚注
外部リンク |
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