FCディナモ・モスクワ
FCディナモ・モスクワ(ロシア語: Футбольный клуб Динамо Москва, 英語:Football Club Dynamo Moscow)は、ロシア・モスクワを本拠地とするサッカークラブ。クラブのモットーは「溌剌とした原動力」[1]。 サッカーのほか、バスケットボール、女子バレーボールも強豪である。 概要1887年、モスクワ北東の繊維工業都市オレホヴォ=ズエヴォで、モロゾフ工場の従業員により結成された工場チームが前身である[要出典]。クラブは1923年4月18日に創設された[2]。 1926年、モスクワ・チャンピオンシップで優勝し、初タイトルを獲得した。同年、後にクラブの伝統となるひし形の中にキリル文字の「D」が描かれたエンブレム、白と青を基調にしたユニフォームが採用された。1928年、セントラル・ディナモ・スタジアムが開場し、2008年までホームスタジアムとして使用した。1936年、ソビエト連邦の最上位サッカーリーグだったソビエト連邦サッカーリーグの初代王者に輝いた[1]。 1945年、ソビエト連邦のクラブとして初となるイギリス遠征を行い、カーディフ・シティを10-1、アーセナルを4-3で破り、チェルシー、レンジャーズと引き分けた[1]。 1950年代から60年代にかけてはゴールキーパーとして初のバロンドール受賞者であるレフ・ヤシンを擁し、数多くのタイトルを獲得した[1]。 1972年、ソビエト連邦のクラブとして初めてUEFA主催大会の決勝に進出したが、UEFAカップウィナーズカップ 1971-72決勝でレンジャーズに敗れた[1]。 ソビエト連邦時代は内務省と秘密警察を指揮したフェリックス・ジェルジンスキーの強力な後ろ盾を得て、リーグ優勝11回、USSRカップ優勝6回を誇った名門チームであった。ジェルジンスキーはクラブの名誉会長も務めた[1]。連邦崩壊後はスパルタク・モスクワやCSKAモスクワ、ゼニト、ロコモティフ・モスクワなどにタイトルを譲っている。ロシア農業界の大富豪アレクセイ・フェドリチェフが2004年にチームを買収しており、近年は東欧やポルトガルなどの選手を積極的に補強し、チーム力の底上げを図っている。 ディナモ・モスクワは1936年にソビエト連邦サッカーリーグが創立して以来、2部リーグ降格を経験したことがないロシアで唯一のクラブだったが[3]、2015-16シーズンのロシア・プレミアリーグで15位に終わり、クラブ史上初めて2部リーグに降格した[4][5]。 2016-17シーズンにディナモ・モスクワは降格した2部リーグで勝ち点を重ね続け、シーズン終盤には残り7試合を残してロシア・プレミアリーグ昇格を決めた[6]。 歴史
タイトル出典[7] 国内タイトル
国際タイトルなし 過去の成績
現所属メンバー
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
歴代監督
歴代所属選手→詳細は「Category:ディナモ・モスクワの選手」を参照
GK
DF
MF
FW
脚注
外部リンク |
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