T.J.マクファーランド
ティモシー・ジョン・マクファーランド(Timothy John McFarland, 1989年6月8日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州クック郡パロス・ヒルズ出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。愛称はマック・アタック[1]。現在はフリーエージェント。 経歴プロ入りとインディアンス傘下時代2007年のMLBドラフト4巡目(全体137位)でクリーブランド・インディアンスから指名され、プロ入り。インディアンス在籍時にはメジャー登板は無かった。 オリオールズ時代![]() (2014年7月1日) 2012年のオフにルール・ファイブ・ドラフトで、ボルチモア・オリオールズへ移籍した。 2013年は開幕ロースター入りを果たし、4月6日のミネソタ・ツインズ戦でメジャーデビューを果たした[2]。 2014年3月11日にオリオールズと1年契約に合意した[3]。この年はメジャーとマイナーを行き来したが、だんだんと重要な局面で起用されるケースが増えていった[4]。最終的には、1試合の先発登板を含む37試合に登板し、4勝2敗、防御率2.76という好成績を記録した[1]。 2015年も30試合に登板したが、防御率4.91、WHIP1.73、与四球率4.0は自己ワーストに終わり、不振だった[1]。 2016年は、16試合の登板に終わった。同年は防御率6.93、WHIP1.74と前年にも増して打ち込まれ、見せ場なく終わった[1]。 2017年2月19日にDFAとなり、24日にフリーエージェント(FA)となった[1]。 ダイヤモンドバックス時代2017年3月17日、アリゾナ・ダイヤモンドバックスのスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。開幕を傘下のAAA級リノ・エーシズで迎えた。4月27日にメジャー昇格した[1]。オフの12月1日にノンテンダーFAとなったが、6日にダイヤモンドバックスと1年総額85万ドル(35万ドルの出来高付き)で契約を結んだ[5]。 2018年は47試合に登板し、2勝2敗1セーブ1ホールド、防御率2.00、WHIP1.19と好成績を記録した[1]。 2019年1月23日、ダイヤモンドバックスと1年総額140万ドルの契約に合意[6]。この年は51試合に登板して9ホールド、防御率4.82という成績だった[1]。 アスレチックス時代2019年11月4日にウェイバー公示を経てオークランド・アスレチックスへ移籍した[7]。 ナショナルズ傘下時代2021年2月16日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ[9]。シーズンでは5月のマイナーリーグ開幕から傘下のAAA級ロチェスター・レッドウイングスでプレーしていた。6月29日にFAとなった[1]。 カージナルス時代2021年6月30日にセントルイス・カージナルスとマイナー契約を結んだ[10]。移籍後は傘下のAAA級メンフィス・レッドバーズへ配属され、7月16日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[11]。約2カ月半で38試合に登板し、防御率2.38、WHIP1.060、15ホールドの好成績だった[1]。特にシーズン終盤の17連勝の期間中に10試合に登板し、7ホールドを記録し[12]、大逆転でのプレーオフ進出に貢献した。オフの11月3日にFAとなった[13]が、独占交渉期間内に契約をまとめ、11月8日にカージナルスと1年総額250万ドルの自己最高額で再契約を結んだ(出来高で50万ドルが追加される可能性がある)[14]。 2022年は28試合に登板したが防御率6.61と前年とは一転して不振に苦しみ、8月10日にDFAとなった[1]。8月23日にマイナー契約を再び結び直して以降はAAA級メンフィス・レッドバーズでプレーしたが、オフの11月10日にFAとなった[1]。 メッツ時代2022年12月20日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ[15]。 2023年はAAA級シラキュース・メッツで開幕を迎え、6月26日にメジャーに昇格して3試合に登板[1]。7月14日にホセ・キンタナが負傷者リストから復帰したことに伴いDFAとなり[16]、18日にFAとなった[1]。 オリオールズ傘下時代2023年7月22日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ[17]。AAA級ノーフォーク・タイズで21試合に登板し、3勝1セーブ、防御率1.80という好成績を残したが、メジャー昇格の機会はなかった[1]。オフの11月6日にFAとなった[1]。 ドジャース傘下時代2024年1月26日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び、メジャーのスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[18]。 アスレチックス復帰2024年シーズン開幕直前の3月26日に金銭トレードでオークランド・アスレチックスに移籍、同チームに復帰した。また、同時に開幕ロースター入りを果たした[19]。この年はキャリアハイを大きく更新する79試合に登板[1]。19ホールド、防御率3.81、39奪三振を記録するも2勝4敗と負け越した[1]。 2025年は27試合に登板して7ホールドを記録したものの、防御率6.89の成績で6月27日にエルビス・アルバラードの昇格に伴って、DFAとなった[20]。7月2日にFAとなった[1]。 詳細情報年度別投手成績
ポストシーズン投手成績
年度別守備成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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