- 武烈天皇の悪逆非道の記事について、歴史学者(直木孝次郎教授 2009年)による、武烈で仁徳系統が終焉し、継体系統による王朝交替が有った事を示唆しているとの指摘がありますが、武烈の「贅沢の限りを尽くして、民を苦しめて、妊婦の腹を裂いて、胎児を取り出したり、爪をはぎ、その手で芋を掘らせたり、人を木に登らせて、その木を伐り倒し、人が落ちて死ぬのを見て楽しんだり、女性を裸にして、馬の交尾を見せて、、、。」という残虐な記事の意味の説明をしてる傍系王族派の説明を見たことがありません。これに関する反証が出来ないのはどういう事でしょうか?水谷千秋氏は血縁が薄かった継体の正当化ではないか?記紀では、遠い傍系と書いている。としていますが、直木孝次郎教授が指摘してるように、わざわざ中国の歴史書の王朝交替の記事を真似て書いた事に対する説明には全くなっていません。直木氏は、記紀編纂時、天皇の万世一系の思想が存在していたので、王朝交替が有ったことを、そのまま書けなかった。と指摘しています。
- 応神天皇の実在性について、直木孝次郎教授や岡田英弘教授による、実在性が乏しく後世の創作人物である。との指摘がなされています。特に重大なのが、宮や陵の記載が日本書紀に無いことです。歴史学界では実在が否定されている欠史八代ですら、宮や陵は記載されています。この重大な欠失についての説明を行なっている傍系王族派の記事を見たことがありません。
- 継体の系譜の信憑性について、『水鏡』、『神皇正統記』、『愚管抄』には、応神 ─ 隼総別皇子 ─ 男大迹王 ─ 私斐王 ─ 彦主人王 ─ 継体と、釈日本紀(上宮記一伝)のとは異なる系譜が載っており、違いが生じています。「上宮記」の方こそ正しい系譜であると主張する傍系王族派が居ますが、その証拠は全く提示されていません。それどころか、『水鏡』、『神皇正統記』、『愚管抄』、『上宮記一伝』、全ての系譜の成立過程が不明であり、いつ誰が製作したのか?最新の歴史学界でも誰も分からない状態です。
--物部天照比古(会話) 2023年9月28日 (木) 14:49 (UTC)返信
- すみませんがこの場は説の議論をする場所ではないと思います。編集方針についてのご意見でお願いいたします。--大伴旅人(会話) 2023年10月3日 (火) 06:52 (UTC)返信
- 議論はノートで行う事になってます。
- 継体は傍系王族である派が、反駁を全く出来ない学説が多く存在することを明確に指摘しておきます。--物部天照比古(会話) 2023年10月3日 (火) 15:29 (UTC)返信
- この件は以前、話したと思いますが傍系王族、そうでない説と双方の見解が出ている状況ですよね。違う説も尊重すると言ったのはあなたですよ。なぜ一方的に違う説を否定するような見解の書き込みをするのですか?--大伴旅人(会話) 2023年10月4日 (水) 14:10 (UTC)返信
- 何度も言いましたが、自分は継体で王統が入れ替わってる説を支持しています。
- そして、歴史学界でも、優勢であろう。と思っています。
- それを指摘しているだけです。--物部天照比古(会話) 2023年10月4日 (水) 20:35 (UTC)返信
- あなたのそのような主張は理解してますが、だからと言って学説の発表年代を再版時のものを以て最新のもののように見せたり、王朝交代を主張していない水谷千秋氏の説を切り取って「応神五世では無く、血縁関係は無いとする説」に入れるような編集は中立的な観点からの編修ではないのではありませんか、と指摘しています。--大伴旅人(会話) 2023年10月18日 (水) 10:59 (UTC)返信
- もともと、新王朝派の和田氏を記紀の通り説に入れたのは、どちらでしょうか?
- 水谷氏の説は修正します。--物部天照比古(会話) 2023年10月19日 (木) 22:10 (UTC)返信
- ご指摘いただいたので和田氏の記事ははずしましたよ?。
- 新王朝を主張していない水谷氏の記事をそのまま残しているのは公平性に欠けませんか?--大伴旅人(会話) 2023年10月24日 (火) 01:38 (UTC)返信
- 水谷氏は外しました。--物部天照比古(会話) 2023年10月24日 (火) 12:17 (UTC)返信
指摘箇所は「説」の紹介の項目です。引用資料に基づいて「説」を紹介していますので、編集内容に不信な点があるならば引用資料に基づく具体的な指摘をしてください。またその「説」が信頼性があるかないかどうかはまた別の問題であると思います。--大伴旅人(会話) 2023年10月3日 (火) 06:24 (UTC)返信
- 南原次男氏(元自衛官、会社経営) 竹田恒泰氏 永井津記夫氏も明らかに歴史学者ではありません。
- ので、信頼性要検証が必要です。
- それと、最初に竹田恒泰氏にTemplate:信頼性要検証を貼ったのは、侵入者ウィリアムさんです。
- よく確認してください。自分ではありません。
- 百田尚樹氏と竹田恒泰氏の記事に侵入者ウィリアムさんがテンプレ貼られて、自分が歴史学者に該当しない 永井津記夫氏(そもそも誰?)南原次男氏にも貼ったのです。
- それから、Template:信頼性要検証を貼られたのを、勝手に消さない方が良いですよ。
- 信頼性検証性が必要な場合に貼られていますので。しかも、自分ではなく侵入者ウィリアムさんが貼られていますので。
- 従って、勝手に何度も外した場合、管理人に報告することになり、ブロックされる可能性があります。
- もし最悪、無期限ブロックになった場合、貴方は新しいアカウント作っても、二度と書き込めない可能性あります。
- 注意してください。ウィキペディアのルールに違反した場合は通報され、ブロックされる可能性があります。--物部天照比古(会話) 2023年10月3日 (火) 15:27 (UTC)返信
- 御親切な解説ありがとうございます。
- ただ該当項目は説の紹介であり、歴史学者に限定するというのはあなたの解釈ではありませんか?
- それからあなたはいままで私が貼った疑問点を何度も勝手に消していますがそれは問題ないくて今回の件のみ問題になるというのはどういうことでしょうか?
- また何というルールの違反になるのでしょうか?。教えていただけると助かります。
- また侵略者ウィリアムさんにも、もしも上記のような対応をされるというのであれば「指摘箇所は「説」の紹介の項目です。引用資料に基づいて「説」を紹介していますので、編集内容に不信な点があるならば引用資料に基づく具体的な指摘をしてください。」というという提議にお答えいただきたく思いますのでよろしくお願いいたします。--大伴旅人(会話) 2023年10月4日 (水) 14:08 (UTC)返信
- 私は、貴方の疑問点に関して、真摯にお答えしてます。
- 貴方は最初、文章を書き換えたりしてました。
- 概略で王朝交代説の根拠はほぼ失われ、継体天皇は王族であったとする説が有力である。とかです。
- また、議論の経緯とかでも、中立でなく大橋氏みたいな傍系説のみから引用して書いてます。
- 南原次男氏も歴史学者ではありませんね。学説でもありません。--物部天照比古(会話) 2023年10月4日 (水) 20:31 (UTC)返信
- 議論の末に合意を形成したはずの過去の議論や問題を蒸し返すような発言は合意に反していませんか?。
- また学説でない百田氏の説を載せてのはあなたの方が先だったと私は認識しておりますが誤解だったでしょうか?。--大伴旅人(会話) 2023年10月18日 (水) 10:42 (UTC)返信
- 百田氏の説は削除しても良いと思ってますよ。--物部天照比古(会話) 2023年10月19日 (木) 21:39 (UTC)返信
- 百田氏の説を削除されるならば竹田氏の記事も削除することにいたします。--大伴旅人(会話) 2023年10月24日 (火) 01:39 (UTC)返信
- 有難う御座います。
- 自分としては、南原氏や永井津記夫氏あたりもどうか?とは思います。--物部天照比古(会話) 2023年10月24日 (火) 12:19 (UTC)返信
横から失礼します。私見ですが、「説」の紹介であれば、出典があれば本職の歴史学者以外の人物による説を記載してもよいと考えます。一方で、「歴史学者による説」と「それ以外の人物による説」が全く同列に記載される状態は感心できません。さすがに、両者の間には学術的信頼性に差があると思いますし。といっても、Template:信頼性要検証を貼り付けた状態も百科事典として体裁がよくないので、例えばですが、以下のような書き方はできないものでしょうか。
- 歴史学者による見解に以下のようなものがある。
- ・・・
- ・・・
- また、上記以外にも、作家などから以下の見解も提示されている。
- ・・・
- ・・・
議論を詳細に追っておりませんので、的外れな意見かもしれず、誠に恐縮ですが、よろしくご検討下さい。--Snap55(会話) 2023年10月5日 (木) 14:55 (UTC)返信
- 御意見有難う御座います。
- 感謝します。--物部天照比古(会話) 2023年10月5日 (木) 22:30 (UTC)返信
- ご提案ありがとうございます。
- そのような編集に変更したいと思います。--大伴旅人(会話) 2023年10月18日 (水) 10:43 (UTC)返信
[1]の編集は、百田尚樹は歴史学者ではないが、竹田恒泰も歴史学者でないから、両方掲載するという趣旨に基づいているようです。両方掲載しないことが妥当ではないでしょうか。参考:Wikipedia:信頼できる情報源 --2001:268:C20D:638:D972:20BE:7FCA:22E4 2023年9月30日 (土) 01:10 (UTC)返信
賛成 私もそう思います。なお『日本国紀』には日本語版ウィキペディアから無断で転載している記述もあり(Wikipedia:ウィキペディアを情報源とするサイト#日本国紀参照)、循環報告やWP:CIRCULARのリスクも伴います。--侵入者ウィリアム(会話) 2023年9月30日 (土) 01:30 (UTC)返信
- 私もそう思います。竹田氏の説は先に物部氏が百田氏の説を書きこんだので私が追加いたしました。両方とも削除というのならそれは公平なご指摘だと思います。
- ただ、物部氏はそれに南原氏の説も加えて削除せよ、という方針らしいので、南原氏の説については本問題とは別でご検証いただきたく思います。--大伴旅人(会話) 2023年10月18日 (水) 10:47 (UTC)返信
コメント これはよくあるパターンですね。根本的な考え方はWikipedia:中立的な観点#適当な重み付け(WP:UNDUE)でして、主流の説をたっぷり書き、非主流の説をちょっぴり書く。
- ところが得てして、非主流の説を書きたい人は、それをたっぷり書きたがる。分量を多くすることで、あたかもその説が重要であるように装うことになるんです。
- 本件では、これに加えてWikipedia:論争のある記事も要素に加わっているでしょう。論争はWikipedia内で起きているのではなくて、現実世界で起きていて、それがWikipediaの編集にも反映されているというところ。おまけにこのあたりのテーマでは、アカデミックな歴史学や文学の文脈というよりは、政治信条に根ざしてバイアスをかけたい層がいる(彼らはアカデミックを装ったりもする。)。
- 原則的には、世間一般での議論を、適切なバランス(分量)で書きます。主流の説をたっぷり、傍流の説はちょっぴり。でも現実的には、それでは納得しない層(腕尽く系利用者)もいたりしがちです。
- なので、現実的に有効な対策として、記事を分割するというアイデアはあると思います。上杉謙信女性説とかね、そうすれば、そっちの記事の中では、好きなだけ長く書いてください、ということになります。それだとWikipedia内のトラブルは減らせるかもしれません。--柒月例祭(会話) 2023年10月6日 (金) 08:31 (UTC)返信
- 分割するならどのような範囲の議論でくくりますか?「継体天皇○○論」といったものがありますか?「継体天皇についての百田尚樹と竹田恒泰の議論」は誤りでないにしろ異様だと思いますが。 --2001:268:C201:9881:D7A:2E1B:CB5D:4C5C 2023年10月8日 (日) 01:14 (UTC)返信
- まず理想論・一般論でいうと、彼らの「主張」をとりあげた第三者言及を探すのがよいです。信頼できる情報源で、「誰某はかくかくしかじかと主張した」的な。一般に学説史のような分野では、そうしたものがあるでしょう。
- ・・・ということは、その主張が「学説史」に取り上げられる必要があり、たいてい1世代ぶんは「時代遅れ」になります。もっと最新の研究・論文があるじゃないかという意見はあると思いますし、穏当に問題なくできるならそれを記載してもよいとは思いますが、モメルなら妥協点として客観的に承認されている説(一昔前の説)までにしておく、みたいな。まあ、Wikipediaの仕組み上、アカデミックな分野での「最新情報」をバランスよく提供するのは難しい面があるとは思います。
- このあたりの「学説史」というか、学説に対する評価みたいのは、1次「こうである」、2次「A氏はこういった」、3次「B氏は、A氏はこういった、と述べた」・・・のように、他者による言及によって評価が確立されていくというところがあります。そういうもんだというしかない。
- で、本件については、たぶんこういう「理想論」は現実的に適用しにくいのだろうと思います。(「The 真実」を書きたい利用者は、この手のアカデミックな評価に関する「理想」的な評価なんか気にしないし。)
- なので、できるだけ「中立」的に言葉を選ぶとしたら、ふつうに「A氏の主張」みたいな節名にしておくのがよいのでは。(変に、節名自体に否定的・肯定的なニュアンスをいれると、またもめるので。)--柒月例祭(会話) 2023年10月10日 (火) 06:36 (UTC)返信
- すみません、私の返信はいまいちズレてました。分割する場合の記事名、ということであれば、私もいいアイデアはないです。分割と言っても、単独記事にしなければいけないわけではないので、人物記事(たとえば百田尚樹に「継体天皇に関する主張」みたいな節をつくってもいいでしょう。全体の分量・バランスを考慮し、どーしても単独記事にするなら、暫定記事名かもしれませんが「百田尚樹による継体天皇に関する主張」みたいな記事名でよいのでは?(もっと端的ないい名前があるならそれでもいいし。記事名で長く悩むのはやや非生産的。)--柒月例祭(会話) 2023年10月10日 (火) 09:54 (UTC)返信
- 「主流の説をたっぷり書き、非主流の説をちょっぴり書く。」
- ご指摘の通りだと思います。私は最初に物部天照比古氏が「応神五世では無く、血縁関係は無いとする説」に記事を丸々書き写して長々と引用しているので、簡潔にまとめるべきだと指摘させていただきましたが、無視されたので、それまで簡潔にまとめていた反対論(記紀の通り、応神五世または皇統に属する人物とする説)でも長々と引用するような記事を書かざるを得なくなりました。
- また最近では文字で書けばいいはずの系譜の引用をあえて表でかこってでかでかと引用するような編集をされているのですが、(「『釈日本紀』の「上宮記」以外の『水鏡』、『神皇正統記』、『愚管抄』には、応神 ─ 隼総別皇子 ─ 男大迹王 ─ 私斐王 ─ 彦主人王 ─ 継体と、釈日本紀(上宮記)のとは異なる系譜が載っており、違いが生じている。」以下の系譜の表)このような編集方法にも疑問を感じております。--大伴旅人(会話) 2023年10月18日 (水) 10:54 (UTC)返信
「 2023年10月24日 (火) 02:05 大伴旅人 会話 投稿記録 164,486バイト +34 →出自を巡る議論: 疑問点:総論でもない水谷氏の系譜に関する一説を冒頭にもってきているのは不適当では」
出自を巡る議論の冒頭に各論である水谷氏の系譜に関する一説をもってきているのは、不適当ではないでしょうか?。公平中立的な編集をお願いいたします。--大伴旅人(会話) 2023年10月24日 (火) 02:10 (UTC)返信