ラインの黄金『ラインの黄金』(ラインのおうごん、ドイツ語: Das Rheingold)は、ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner)が1854年に作曲し、1869年にバイエルン宮廷歌劇場で初演した楽劇。台本も作曲者による。ワーグナーの代表作である舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』4部作の「序夜」に当たる。 概要『ラインの黄金』は、歌劇『ローエングリン』に続くとともに、後に「楽劇」と呼ばれるようになった最初の作品である[注 1]。4部作はそれぞれ独立した性格を持ち、単独上演が可能である。このうち『ラインの黄金』は全1幕4場からなり、上演時間は約2時間30分と4部作中もっとも短い。物語も音楽もかなり変化に富み(後の3作で多くの部分を占める、二人だけによる長大な対話場面が本作にはほとんど無い)、序夜というだけでなく4部作の中で最も親しみやすい入門編的性格も持つ。第4場の幕切れとなる「ヴァルハラ城への神々の入城」の音楽は演奏効果が高く、しばしば管弦楽のみで独立して演奏される(劇中ではローゲの歌詞などによって最終的な破滅への予感が強調されており、決して華やかなフィナーレという扱いではない)。 物語は、『エッダ』、『ヴォルスンガ・サガ』など北欧神話の物語を軸にしつつドイツの叙事詩『ニーベルンゲンの歌』を始めとするドイツ英雄伝説や、ワーグナー独自の重層的・多義的な世界が構築されている。直接引用されてはいないが、後述のとおりギリシア神話の影響も多分に見られる。 『ラインの黄金』の台本は1852年11月、音楽は1854年にそれぞれ完成された。1869年9月22日、ミュンヘン宮廷歌劇場にて初演された。『ニーベルングの指環』4部作全曲の初演は、1876年8月13日から17日まで開催された第1回バイロイト音楽祭においてである。 バイロイト音楽祭では4部作が連続上演される。内訳は以下のとおり。
作曲の経緯構想と台本
作曲
初演ワーグナーは1856年4月末に『ヴァルキューレ』の作曲を完成するが、この頃の手紙に、『指環』4部作のために劇場を建てて上演したいと書いている。この時点で『ジークフリート』、『神々の黄昏』はまだ完成していなかったが、ワーグナーには後のバイロイト祝祭劇場の構想がすでにあり、4部作は連続して上演されるべきで、そのいずれかを取り出して上演することには反対であった。しかし、ワーグナーを信奉し全面支援していたバイエルン王ルートヴィヒ2世は全作の完成まで待ちきれず、『ラインの黄金』と『ヴァルキューレ』は全曲初演に先立ち、単独で初演された。
編成登場人物従来のオペラ作品に必ず用いられた合唱が本作では採用されない。舞台で描かれるのは神話の時代であり、キャラクターとしての人間も登場しない。
(ヴォークリンデ・ヴェルグンデ・フロースヒルデでは散文のエッダ・古エッダには登場せず、ニーベルンゲンの歌に登場する。)
楽器編成前作『ローエングリン』の3管編成から4管に拡大されて、後のマーラーの交響曲の楽器編成の基礎になった。とくにホルンが金管楽器ともバランスを取るために8本に増強され、バストランペットやコントラバストロンボーン・作曲者が考案したチューバとホルンの中間の楽器ワーグナーチューバが初めて使用されていることが特徴的である。また、弦楽は人数が指定されている。 ピッコロ、フルート 3、オーボエ 3、コーラングレ(オーボエ持ち替え)、クラリネット 3、バス・クラリネット、ファゴット 3(Aの音がでない場合はコントラファゴットで奏する)、ホルン 8(第5・第6奏者はテノール・テューバ持ち替え、第7・第8奏者はバス・テューバ持ち替え)、トランペット 3、バス・トランペット、トロンボーン 3、コントラバス・トロンボーン、コントラバス・テューバ、ティンパニ 2対、トライアングル、シンバル、バスドラム、タムタム、ハープ 6、弦五部(第1ヴァイオリン 16、第2ヴァイオリン 16、ヴィオラ 12、チェロ 12、コントラバス 8) バンダ:鉄床 18(9パート、舞台裏)、ハープ+1(舞台上)
構成全1幕、4場からなる。各場は管弦楽の間奏によって切れ目なく演奏される。 ![]()
第1場 ラインの河底舞台はライン川の河底。ニーベルング族のアルベリヒは3人のラインの乙女たちに言い寄るが、乙女たちは彼を嘲弄する。憤るアルベリヒは河の底に眠る黄金を見つける。黄金の守護者でもあるラインの乙女たちから、愛を断念する者だけが黄金を手にし、無限の権力を得て世界を支配する指環を造ることができると聞かされたアルベリヒは、禁欲ならできるだろうと黄金を奪い、愛を呪う言葉を残して去る。 第2場 広々とした山の高みヴォータンは巨人族の兄弟ファーゾルトとファーフナーにライン河畔の山上に居城「ヴァルハラ」を造らせ完成させていた。兄弟へは報酬として女神フライアを与えるという契約になっていた。しかし、もともと約束を果たすつもりのないヴォータンは、この契約を勧めたローゲに考えがあるはずとして、ローゲに事態の収拾を図らせようとする。 ![]() ローゲはアルベリヒがラインの黄金を奪い去ったことをみなに話し、ラインの乙女たちが指環を取り戻してほしいと願っていることを伝える。ニーベルング族とは確執のある巨人たちは財宝の話に惹かれ、フライアの代わりの報酬にせよと言い出す。ヴォータンは自身が世界を支配する指環を得たいと望んだことからこの申し出を拒む。怒った巨人たちは、フライアを人質にして連れ去ってしまう。フライアの作る若返りのリンゴが食べられなくなった神々は、もともとリンゴを得られなかったローゲを除いて若さを失い始める。意を決したヴォータンは、ラインの黄金を手に入れるためにローゲを伴って地下に降りてゆく。 第3場 ニーベルハイム![]() 地底のニーベルハイム。アルベリヒはラインの黄金を指環に矯め、その力でニーベルング族の王となって、弟のミーメも隷属させていた。ミーメは、アルベリヒの指示で造らされた魔法の隠れ頭巾[5]を密かに我が物にしようとするが、アルベリヒに見つかって奪われ、むち打たれる。 ヴォータンとローゲは嘆くミーメから事情を聞き出し、アルベリヒに近づく。アルベリヒは2人を警戒するが、次第にローゲの口車に乗せられ、おだてられて魔法の隠れ頭巾を使って恐ろしい大蛇に化ける。次に小さいものにも変身できるかと問われ、カエルの姿になってみせたところを捕らえられてしまう。ヴォータンとローゲはアルベリヒを縛り上げ、地上に拉致する。 第4場 第2場に同じ再び山上の開けた台地。ヴォータンはアルベリヒに身代金を要求し、アルベリヒは仕方なくニーベルング族を使ってかき集めた財宝を差し出す。それでもアルベリヒは許されず、ローゲに魔法の隠れ頭巾を奪われ、ヴォータンからはラインの黄金を鍛えた指環を無理やり取り上げられてしまう。ようやく自由の身になったアルベリヒは、指環に死の呪いをかけて去る。しかし、念願の指環を手にしたヴォータンは意に介さない。 巨人族の兄弟がフライアを連れて現れ、フライアの身の丈と同じだけの財宝を要求する。ローゲとフローがニーベルング族の財宝を積み上げていく。ローゲが隠れ頭巾を差し出してもまだ足らず、巨人たちはヴォータンの指環を要求する。ヴォータンはこれを断固拒絶、指環はラインの乙女たちに還してやってはというローゲの申し出にも取り合わない。
暗い空気を払うため、ドンナーがハンマーを振るって雲を呼び集め、雷を起こす。これより「ヴァルハラ城への神々の入城」の音楽。フローが神々の城に虹の橋を架ける。ヴォータンは城に「ヴァルハル」と名付ける。「剣の動機」がトランペットで現れ、英雄の登場を予告する[6]。虹の橋を渡って神々は入城してゆく。彼らに続いて入城しようとしたローゲは、神々の没落を見通し、炎となってすべてを焼き尽くしてしまおうと独白する。ラインの娘たちが嘆き、地上にあるのは偽りばかりという歌が谷底から聞こえてくる。ラインの娘は実際、舞台上には登場しない。「ヴァルハルの動機」や「虹の動機」による、壮大で圧倒的な音楽による幕切れ。 配役について『ラインの黄金』において、とくに重要なキャラクターは、ヴォータン、アルベリヒ、ローゲであり、この3人の配役が上演の出来を大きく左右する。彼らに次いで重要なのは巨人族のファーゾルトとファーフナー、そして知恵の女神エルダである。ラインの乙女は三人一組のキャラクターだが、4部作の冒頭とフィナーレを飾り(歌唱自体はブリュンヒルデとハーケンが締めくくる)物語全体の鍵を握っている。
音楽『ラインの黄金』の音楽は、前作『ローエングリン』より管弦楽編成(上記)が拡大されただけでなく、実験的といえるほど劇性・表現性が打ち出された、いわゆる「楽劇」スタイルをとる。 表現性の拡大歌詞との関係では、歌詞の韻律と音楽の拍節を意図的にずらすことで、より心理的・演劇的表現が追求されている。また、小人や巨人など異形のキャラクターの表現も特徴的で、小人には半音進行が多く、性急でぎくしゃくした音型を当て、巨人に対しては暴力的リズムの反復に金管の粗野な響きが組み合わされる。 さらに、異例な進行を反復することで、正常な進行を異化させる効果を打ち出した。例えば、第3場でミーメが「アルベリヒが悪知恵めぐらし」と歌う箇所では、3度音程を減5度という間隔で反復進行させ、そのあとにつづく単純明快な長三和音の分散型が、奇怪でおぞましい印象を与えるものとなる。この手法は、ワーグナーが後に掲げた「価値の反転」の先触れとなるものである。 ライトモティーフの機能![]() ![]() ![]() フランスの音楽学者アルベール・ラヴィニャック(1846 - 1916)によれば、『指環』四部作中に計82のライトモティーフ(示導動機)が数えられ、そのうち34が『ラインの黄金』に現れるとされる。 ライトモティーフは、キャラクターに固有の音型を付けるというような単純なものでなく、一つの動機が複数の概念をはらみ(例:「槍の動機」=「契約の動機」)、さらに別の動機に発展、変容するなど、相互に近親性を持つものがある。例えば、第1場から第2場への転換では、「指環の動機」が「ヴァルハルの動機」へと滑らかに移行する。また、幕切れ近くに初めて示される「剣の動機」は、台本で直接「剣」について語られることがないにもかかわらず、変ニ長調のなかにハ長調で現れ、次作の悲劇を予告するかのような働きをする。これらは、ライトモティーフの体系化を困難にしている。 ワーグナー自身がライトモティーフについて説明したことはなく、『指環』4部作のライトモティーフについて最初に分析したのはハンス・フォン・ヴォルツォーゲン(1848年 - 1938年)である。ワーグナーはヴォルツォーゲンの分析について、「自分でもこれほど見事に分類できない」と語っている。これらは、ワーグナーがライトモティーフの体系化をあえて拒んだことを示唆しているとも考えられている。 ギリシア神話・哲学の影響ギリシア神話ワーグナーは1840年代の半ばにアイスキュロスのギリシア悲劇に接し、ソポクレス、エウリピデスの悲劇、ホメロスの叙事詩、プラトンの著作などを渉猟し、アリストパネスを高く評価していた。『指環』4部作において、なかでも強い影響が見られるのはアイスキュロスである。 アイスキュロスの悲劇のうち、とくにワーグナーが手本にしたと見られるのは、『オレステイア』と『プロメテウス』各3部作である[7]。アイスキュロスの頃、ギリシア悲劇は3部作として上演されており、これにサテュロス劇を加えた4部構成とされた。『指環』4部作は、この形式を踏まえたものである。 アイスキュロスの訳者ドロイゼンは、『プロメテウス』3部作の復元を試みており、ワーグナーはこの復元版に依拠している。この復元版と照らすと、4部作のうち『ラインの黄金』は『火をもたらすプロメテウス』(盗み)、『ヴァルキューレ』は『縛られたプロメテウス』(処罰)、『神々の黄昏』は『解放されたプロメテウス』(救済)というテーマが対応する。残る『ジークフリート』はサテュロス劇に対応することになる[8]。 また、『指環』4部作に「舞台祝祭劇」と名付けたのも、ギリシア悲劇が祭祀的に上演されていたことを受けたものであり、ワーグナーは4部作と同時に、これらを上演するための特別な劇場を構想、後のバイロイト祝祭劇場建設に至る。 ギリシア哲学『ラインの黄金』では、4部作の中心主題となる、世界を支配する「指環」が作られた経緯が語られ、それに伴って、愛情と権力の葛藤という図式が提示される。アルベリヒが権力を求めて愛を捨てることが物語の発端となるが、ヴォータンとフリッカの対立や巨人族兄弟の対比にもまた、権力志向及びこれと相対する愛情志向の投影が見られる。 こうした二元論・宇宙論的構成は古代ギリシアの哲学者エンペドクレスの応用である。第2場では、ローゲが「水・地・風」を経巡ってきたと歌うが、ローゲ自身は「火の化身」であり、エンペドクレスが唱えた四元素説がここに示されている。エンペドクレスは、四元素を結合する要素が愛(Philia)、分裂させる要素が憎悪(Neikos)であるとした。ワーグナーは本作品にNeidspiel(権力闘争)やNeidtat(嫌がらせ)など造語を用いており、この造語成分であるNeidは、Neikosと語呂・意味内容が一致している。 『ラインの黄金』の現代性『ニーベルングの指環』を構想中のワーグナーは、ドレスデン蜂起に参加してスイスに亡命を余儀なくされた。この事件はワーグナーの革命思想を挫折させるものとなったが、『指環』4部作にはこの思想の名残が認められる。また、4部作に先立って構想的に書かれた『ニーベルンゲン伝説』及び『ジークフリートの死』では、ニーベルング族の「解放」がワーグナーの念頭にあったことが示されている。 例えばローゲには、ドレスデン蜂起の中心となったロシアの無政府主義者ミハイル・バクーニンの思想の投影が認められる。また『ラインの黄金』では、山上の神々、河底のラインの乙女、地下世界の巨人や小人族と、階層の上下関係が明瞭である。実際、1877年にロンドンを訪問したワーグナーがテムズ川を川蒸気で観光した際、妻コジマによると、ワーグナーは「ここはアルベリヒの夢が現実になっている。霧の都(ニーベルハイム)、世界支配、労働と勤勉、いたるところ重くたれ込めたスモッグ」と感想をもらしたという。こうしたことから、後世、現代社会になぞらえる解釈がされてきており、以下に例を挙げる。
編曲メルセデス・ベンツの2018年春のCM「The Best for You」 脚注注釈
出典
参考文献
外部リンク
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