龍泉寺 (山口市)
龍泉寺(りゅうせんじ)は、山口県山口市にある浄土真宗本願寺派の寺院。 概要山口県山口市前町の石州街道沿いにある浄土真宗の寺院。 歴史寺伝によると、弘法大師が806年(大同元年)に蘭若な寺院として始まり、後に浄土真宗に改めた[1]。 大内義興(おおうちよしおき)が足利義稙(あしかがよしたね)を山口に招いた際に、大内義興が病に倒れた。一人の老僧が大内義興に小壺の水を注ぎながら、真言を唱えたところ治癒された[2]。1525年(大永5年)、足利義稙が大内義興に龍泉寺と勅額を下したとされている[3]。 1864年(元治元年)5月1日に公家の四条隆謌が入り、次いで5日にやはり公家の東久世通禧も龍泉寺に入る。 龍泉寺は東久世通禧と四条隆謌の二卿が11月まで仮寓したため、「前町御殿」と呼ばれる。 この間、住職一家は向かいの廣瀬家(廣瀬政祐の家)に仮寓していた。 1864年(元治元年)5月8日に錦小路頼徳の遺体が下関から運ばれ、長州藩の毛利元徳を喪主として葬儀が営まれる。 1864年(元治元年)6月16日涼台が落成。 1866年(慶応2年)5月16日から7月30日まで、笠間藩の儒学者である加藤桜老の仮寓先になる[4]。 1938年(昭和13年)に国家総動員法が公布され、11月末に種田山頭火は山口市小郡の其中庵(ごちゅうあん)から龍泉寺の上隣の四畳一間に移り風来居(ふうらいきょ)と呼び中原中也の慕う若き詩人たちと交流した[5]。 境内宝物周辺施設
関連事項![]()
1843年(天保14年)、僧侶の早笋瑞然は龍泉寺の境内に寺子屋を開き、小学としては、1872年(明治5年)の学制発布[8]により吉敷の前原騰馬(日本女子大学創設者、成瀬仁蔵の叔父)が矢原の今井に開いてた寺小屋と合併して1873年(明治6年)に湯田小学が開設され[9]1877年(明治10年)まで本堂を借り受けて最初の校舎として利用されて今日の山口市立湯田小学校に至っていることから、龍泉寺は湯田小学校の発祥地とされる[10]。 その当時、教えていた学科は読書算術・習字。1871年(明治4年)の生徒数は男45人、女25[11]人。 脚注
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